商社の仕事人(75)その1

2021年02月7日

日鉄物産 中嶋梨沙子

 

社会を支える〝鉄〟を通じて、

商社ビジネスの新しい可能性を

追求する

【略歴】
中嶋 梨沙子(なかしま・りさこ)
1993年、兵庫県出身。明治大学法学部卒業。2016年入社。

 

2019年、台風17号の直撃

2019年9月24日、連休明け火曜日の朝。

出社してすぐメールに目を走らせた中嶋梨沙子は、手のひらにじっとりと汗がにじむのを感じた。

「ほとんどの貨物が船内で荷崩れを起こしています」

前日に発生した台風17号。その進路が、中嶋が担当するバルク船の航路に重なるかも知れないというニュースは前夜すでに目にしていた。悪い予感はしていたが、まさか「ほぼ全損」とは―。中嶋が扱う積荷は、1700トンにも及ぶ鉄鋼のコイルだ。

入社4年目、営業に配属されて1年目。彼女は輸送を取り仕切る担当者として、積荷を送り届ける責任の一端を負う立場だった。バルク船は複数の商社の積荷も相積みされており、利害関係は多方面に及ぶ。

いまはまだ立ち往生する船からの第一報が届いたばかりで、詳細は何も分からない。だが想像もつかない重大な事態が海の向こうで起こっていることは、短い文面からありありと伝わってきた。

いったいどうすればいいのだろう、この事態の収拾をつけることができるのか。途方に暮れながらも、大急ぎで社内外の関係各所に連絡を入れる。こうして、幕引きまでの中嶋の長い2週間が始まった―。

 

〝鉄〟という魅力ある商材との出会い

「鉄鋼」「産機・インフラ」「繊維」「食糧」の四つを、コアビジネスとする日鉄物産。同社は「複合専業商社」として、海外18か国33都市に拠点網を構築している。「鉄鋼」分野では日本製鉄グループの中核商社を担い、原料調達から製品の加工・納入まで「鉄のプロフェッショナル」としての総合的なサービスを展開。日本製鉄グループ各社と戦略や経営資源を共有し、ビジネス拡大に取り組む。

そんな同社と中嶋を結びつけたのが、この〝鉄〟という商材だ。

1993年生まれの中嶋は、神戸出身。小学校から高校まで地元の一貫校で過ごした。大学もそのまま内部進学することができたが、彼女は東京の明治大学法学部へ進む道を選ぶ。法学部を目指したのは、祖父、父と代々続いた弁護士の家系を意識したためだ。だがいっぽうで彼女は、小学生以来、将来に対するテーマとして〝海外〟を掲げていた。

きっかけは小学生時代に通った英語スクール。六年生の時に師事した女性の教師が、幼い中嶋が海外に向けて視野を広げるメンターの役割を果たしてくれた。英語に熱中した彼女は高校二年の時、夏休みを利用してイギリスでのサマースクールに参加。そんな経験を通じて、「海外の人と関わる仕事がしたい」という漠然とした思いを抱くようになった。

「法学部に入ってすぐ自分は法曹界には向いていないなと思い(笑)、違う道を模索することにしました。関心や情熱がないのになれるような簡単な世界ではないですから」

当時をこう振り返る中嶋。大学では国際関係論ゼミに所属し、ODAなど途上国の開発援助を研究した。大学2年の時にはアメリカで赤十字のインターンに2週間ほど行ったこともある。そうした経験から、中嶋はビジネスを通じて社会の役に立つという将来像を具体化させていくようになった。そして就職活動では、エンジニアリング、メーカー、商社を回る。そんななかでとある鉄鋼商社のインターンに参加したのは、たまたまサークルの先輩に勧められたからだった。

メーカーでは、その会社の製品だけ手がけることになる。総合商社でも、配属された部の商材しか扱えない。だが鉄は自動車になったり、船になったり、多種多様に形を変えて社会のあらゆるところに関わっていくことができる―。さまざまな業界を通じて、社会の根幹を支えている鉄。その面白さが、中嶋の心を大きく捉えた。

そうしたなかで最終的に日鉄物産の門をくぐることになったのは、同社に勤める大学の先輩との出会いが大きかった。相手は8歳年上、女性の営業職だ。

「その方との話を通じて、女性の総合職でも頑張りやすい会社だと思えたんです。座談会などではいい話しか聞けないこともよくありますが、その方からは〝結婚したら〟〝子供が生まれたら〟といったライフイベントについても、率直な本音の話を聞くことができました。そうしたなかで、〝ここでなら私もやれる〟と確信できたことが、当社を選んだ大きな決め手になっています」

⇒〈その2〉へ続く

 


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