商社の仕事人(75)その3

2021年02月9日

日鉄物産 中嶋梨沙子

 

社会を支える〝鉄〟を通じて、

商社ビジネスの新しい可能性を

追求する

〝幹事商社〟として4商社による共同輸送を取りまとめる

「台風の被害にあったのは、毎月1回中国へ鋼材を運ぶバルク船です。荷主は、当社を含めた商社4社。ちょうど私が異動になった頃に共同輸送する計画が持ち上がり、ほどなく運航が始まりました。それからちょうど1年後、大変な事態に見舞われてしまったわけです」

物流の経験を2年間積んだ中嶋に、いよいよ異動の声がかかったのが2018年6月。行き先は棒線営業部・棒線第四課だ。棒線とは、棒鋼と線材の2つを指す。中嶋のミッションは、この商材を日本製鉄から仕入れて海外の顧客に売ることだ。

担当として任された顧客は、いずれも日本製鉄の流れを引く〝伸線メーカー〟。これはワイヤロッドと呼ばれるコイル状になった鋼材を仕入れて所定のサイズの線径に加工する二次加工メーカーのことだ。顧客のうちの一社は、スウェーデン、アメリカ、中国、メキシコに拠点を展開するA社。そして中国江蘇省蘇州市にあるB社も、中嶋が担当することになった。

ちょうど中嶋の異動と時を同じくして浮上したのが、B社向けにバルク船を1隻用意して月1回の定期輸送を行うプランだ。

その数年前から、日鉄物産を含む4つの商社がB社に日本製鉄の鋼材を納入していた。4社はそれぞれ別個にコンテナ船を用意していたが、それではどうしても物流コストが余計にかさんでしまう。そこで日本製鉄の側から日鉄物産に対して、4社が共同でバルク船を手配、つまりばら積み貨物船一隻で一括輸送してはどうか、という提案が持ち込まれたわけだ。

4社のうち日鉄物産が交渉相手とされたのは、もちろんグループ会社なので一番話がしやすいという事情もある。だが一方でまた物流の経験を積んだ中嶋が新しい担当として着任したことも、大きな理由の一つとなっていた。

こうして日鉄物産が〝幹事商社〟となり、担当の中嶋は船会社、メーカー、そして各商社間の調整に飛び回る。どの船を選ぶかに始まり、どのような積み方でコイルを運ぶかなど、交渉の詳細は多岐に及んだ。ようやく最初の船が中国へ旅立ったのは、2018年10月のことだ。

鋼材を製造するのは、日本製鉄の室蘭製鉄所。船は室蘭港を出発し、江蘇省蘇州市の長江下流域に位置する張家港を目指す。通常は日本海回り、波が荒れそうな時は太平洋回りの航路が選ばれる。2019年9月の便も太平洋周りで中国へ向かったが、船が目的地の張家港に入ることはなかった。

 

錯綜する利害と迫るタイムリミット

台風被害の第一報を受け、メーカー、各商社、そして社内の各所に連絡を入れ対策を模索する中嶋。そんな彼女の下へ、ほどなく船からの第二報が届く。添えられた写真を見て、彼女は声を失った。

「完全にグチャグチャになっている……。これはもう使い物にならないな」

ワイヤロッドをコイル状に固定するバンドルが破損し、バラバラにほどけてしまっているのだ。コイルは全部で約830個積まれていた。ざっと写真を見る限り、600コイル近くが損害を受けているようだ。

船には4商社の鋼材のほか、最後に寄港する台湾で降ろす積荷が別にあった。そのため最初に張家港で下ろす鋼材が船倉の一番上に、最後に下ろす台湾の積荷が一番下に積まれる。だが船が波にあおられた場合、より揺れ幅が大きく被害を受けやすいのは上に積まれている積荷のほうだった。報告では台風による高波のせいで、最大30度近くまで船が傾斜したという。それでは大方のコイルが被害を負うのも無理はない。

船会社としても被害を最小限に食い止めるため、最善を尽くしていたようだ。台風との遭遇を避けるため、船は予定を繰り上げ急いで張家港に向かった。ところが張家港にはすでに多数の貨物船が殺到しており、接岸できる桟橋=バースが全て埋まってしまっていた。そこで再び外洋へ向かって台風を避ける進路を目指したが、間に合わず直撃を受けてしまったわけだ。

さらにまだ危機が完全に去ったわけではなかった。台風17号に続いて18号も接近していたからだ。

二次被害を避けるため、中嶋はいったん船を青島へ避難させる。同時に日鉄物産の現地法人を通じて張家港の当局者に被害状況を伝え、荷揚げを行う手はずを整えようとした。

ところが返ってきたのは、予想外の反応だった。

「中嶋さん、張家港が入港を拒否してきました。うちでは荷揚げできないと言っています」

バンドルでコイル状に固定された鋼材なら、通常通りクレーンで積み下ろしできる。だがバラバラにほどけてしまっている状態では、吊り上げた時にどんな事故が起こるか分からない。そのため張家港は、荷揚げの拒否を通告してきたのだ。

いったん船を室蘭港まで戻せば、安全に荷コイルを下ろすことはできる。だが台湾の積荷は国慶節が始まる10月10日までに下ろさなくてはならず、室蘭へ向かっている時間はもうない。さらに鋼材のエンドユーザーのなかには自動車メーカーがあり、少しでもいいから被害を免れたコイルをすぐ搬入するようにとの要望を伝えてきた。製造ラインを止めるわけにはいかないのだ。船会社も次の運航の予定があるので、一日も早い荷揚げを急かしてくる。

こうなったら中国でまた別の港を探して荷揚げするしか選択肢はない。だが一方でそれにともなう追加の物流コストを誰が負担するのかという問題も、事態を複雑にする大きな要因となった。顧客のB社は荷崩れした鋼材の受け取りを拒否し、時間がかかってもいいから無傷のコイルを持ってくるよう求めてくる。

「写真を拝見しましたが、うちではもう引き取れませんよ。港の変更も、当社には責任のないことです。そのコストを負担することはできません」

それぞれの利害が錯綜して身動きが取れないまま、タイムリミットが近づいてくる。このまま船と積荷を放置していれば、事態はますます悪くなるいっぽうだ。一刻の猶予もない状況で、シビアなハンドリングが入社4年目の中嶋の手に委ねられていた。

 

〝フォローは任せて、できるだけのことをやれ〟

「本件はフォース・マジュール(不可抗力)であり、うちに落ち度はない。費用負担の責任を負うことは不可能だという一線だけは、決して妥協するな」

部長からじきじきに強い指示を受けた中嶋。その実践にあたってはまた、課長もことあるごとに彼女を励ましてくれた。

「何かあったら、最終的な責任は全て自分が取る。フォローは私たちに任せて、君はとにかくできるだけのことをやりなさい」

この言葉で、中嶋の覚悟が決まった。自分が中心となって矢面に立ち、各社の要望を押し切ってでも事態を早急に収拾させなくてはいけないという意思をいっそう強固にしていく。迷ったり、ひるんだりしている余裕は一切ないのだ。

「港の変更にともなう追加の物流コストは、やはり船会社ではなく御社で持っていただくしかありません。こちら側で負担することは、契約上どうしても不可能ですから。ただ保険による求償の交渉に関しては、やれるだけのことはやらせてもらいます。船会社の落ち度ですか? それについても当社でじっくり精査した上で、改めてレポートいたします」

時間は矢のように過ぎていく。

顧客に負担を飲み込んでもらうにあたっては、再発防止策の徹底も強く求められた。中嶋は船会社の担当者と面談し、次また同じようなことが起こった場合についてさまざまな条件を引き出す。電話やメールだけではなかなか切迫感が伝わらなかったが、顔を突き合わせての談判では中嶋の意向を強く印象づけることができた。

こうした交渉のかたわら、中嶋はもう一つの難関に対しても奔走を続けていた。それはほかでもない、中国で荷揚げする新しい港探しだ。デッドラインまでに代替の港が見つからなければ、顧客や船会社との交渉も机上の空論に終わってしまう。だが候補に挙げた港からは、次々と受け入れ拒否の返事が届いた。

「中嶋さん、青島港でも断られました。やはり写真を見せたところ、これはもうコイルとは呼べず、うちでは処理できないとのことです」

いつになったらこの状況に終わりが来るのか―。果てしなく感じられた港探しにようやく突破口が開けたのは、国慶節を間近に控えたデッドライン直前のタイミングだった。荷崩れしたコイルは廃棄するという前提で、ハンドリングの実績豊富な上海港が最後に受け入れを認めてくれたのだ。こうして台風発生から約2週間後、ようやく収拾への道筋に光明が差した。

バルク船の被害で発生した費用はその後、各社とも保険で賄われることが決まる。ただし他社はコンテナ船や飛行機など後から別途発送することになり、その分は対象外となったという。しかし日鉄物産はもともと量が少なかったことが幸いし、全額保険で求償することができた。こうして文字通り台風のような日々が過ぎ去り、中嶋は重大な危機を見事に切り抜けたという達成感を手にした。

励まし続けてくれた上司と仲間たちの笑顔に、大きな安堵を覚えた。

 

従来の商社機能を超えたバリューを提供していく

中嶋は現在、一線の営業担当として世界を飛び回っている。スウェーデン、アメリカ、中国、メキシコに拠点を展開するA社の担当として、すでにこの4か国を訪れた。

といってももちろん、優雅な視察旅行などではない。中嶋が初めてアメリカ及びメキシコへ飛んだのは、台風被害に収拾をつけて間もない2019年12月。メキシコのA社拠点からコイルの荷崩れが多発しているとのクレームが、それ以前から繰り返し寄せられていたためだ。

メキシコの荷揚げ港・マンザニーロ港から終着点であるA社の加工工場までは、舗装状況が悪い。そのため港でコンテナを開けてコイルをトラックに移し替えると、陸送中に荷崩れするリスクがある。そこで船から下ろしたコンテナをそのままトラックに積み、加工工場に着いてから初めて荷ほどきする手順があらかじめ定められていた。ところが、コイル崩れの経緯をたどっていくと、マンザニーロ港でコンテナから下ろしたコイルを一時保管し、トラックで客先倉庫まで輸送されていることが判明。

手順通りであればあり得ない状況だ。

事情を聞くと、加工工場の倉庫では余剰となった在庫を抱えておく余裕がなくなっていたという。そこで現場の判断で手順を変え、港に倉庫を用意することにした。そしてそこから陸路でコイルを運ぶ際、予期されていた通りに荷崩れが多発していたわけだ。

だが現場では、独自に手順を変えたこと自体はさほど問題とされていなかった。中嶋はまずそこの認識のすり合わせに苦心する羽目になる。

「ここで私一人がどれだけ説得しても、相手には納得してもらえない」

そう思った中嶋はメーカーの日本製鉄からも説明してもらうよう呼びかけるなど、さまざまなルートからの協力を仰ぐ。こうしてようやく現場にも手順を守る重要性を認識してもらうことができ、事態の打開に向けた話し合いの端緒を開くことに成功した。

 

「いままでは割と、こんなトラブル解決のようなことがメインになっていました。事故が起きたからどう対応しましたとか、マイナスからのゼロという仕事ですね」

だが現在は顧客が悩んでいることに対して、プラスの価値を提供していく仕事にどんどん取り組んでいきたいと考えている。そんな彼女が構想しているビジネスの一つが、日本を舞台にした〝ジャストインタイムデリバリーシステム〟だ。

これまでの態勢では、鋼材を発注してから製品が届くまで5か月近くかかっている。しかしとりわけ将来の不透明感が増す現在、5か月先の需要を正確に見越すことは困難だ。

そこでこの時間を短縮するには、従来の輸出貿易という商社ビジネスの枠を超え、あらかじめ製造した在庫を商社がストックしておくことで納期を短縮するスキームが重要になってくる。日鉄物産ではすでにこのビジネスは、アメリカと中国で現実になっていた。倉庫費用が高い日本ではコスト面で不利だが、何とかうまく成立させる手立てはないか―。そんな構想を念頭に、中嶋は動き出している。

「単にモノをつないで売るという従来の商社機能を超えて、プラスアルファのバリューをどれだけ提案していけるか。そうした新しい商社ビジネスにチャレンジしていきたいと思っています」

 

中嶋 梨沙子(なかしま・りさこ)

1993年、兵庫県出身。明治大学法学部卒業。2016年入社。

「鉄鋼の専門商社はいろいろと受けました。日鉄物産に決めた理由は、ちょうど就活中の人事担当者が女性だったこと、また面接を通じて楽に自分の素を出せたことも大きかったと思います。それとやはり商社というと、接待でお酒をたくさん飲んで…といった男社会のイメージもありますよね。そうした点でも当社は、自分の頑張り方に合っているなと感じられました」「学生のみなさんに対して期待するのは、『何でも楽しんでほしい』ということ。辛いと感じることが起こるのは、これからの人生で避けられません。その時にそれをネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで大きな違いが生じます。トラブルに対して運がなかったと思ったり誰かのせいにしたりするよりは、前向きに受け止められる人のほうがどんな業界、会社にも向いているのではないでしょうか」「商社に対してキツいというイメージを持っている女子学生も多いでしょう。しかし当社なら、周りのフォローもあります。何でも楽しみながら捉えられる人なら、自分の成長につながる仕事ができる会社だと思います」

 

取材:2020年9月

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験