商社の仕事人(76)その1

2021年02月10日

JFE商事 金子 純

 

〝鉄〟の新たなフロンティアを

目指して

 

 

【略歴】
金子 純(かねこ・じゅん)
1982年、東京都生まれ。中央大学商学部経営学科卒。1年間ボストンへの留学を経験し、2006年入社。

 

2014年7月ミャンマー最大の都市、ヤンゴン。クーラーの調子が悪く、息苦しいような部屋の中で、歓喜の声が上がった。

「支店長、顧客から発注の旨のメールが来ました! 決まりました!」

「えっ、本当か⁉︎ おっしゃぁ!」

JFE商事入社7年目でタイJFE商事会社に赴任し、現地に出向してきていた金子純のもとに、大型案件の発注意向が顧客から届いた。橋梁を専門とする現地会社に鉄を販売する取引だ。これにより、ミャンマーの川に橋を渡し、経済発展をサポートすることができる。他国や他社に一歩先んじての快挙である。

当時、軍事政権から民主制へと移行したミャンマーでは、貿易の自由化等の経済改革を受け、インフラ整備などの開発が始まったところだった。これから発展していこうとする国の未来を、土台から支える仕事に関わることができたのである。〝鉄〟という素材を扱う商社パーソンとして、真に大きなやり甲斐を感じる瞬間であった。特有の湿気を含む熱い空気に汗をにじませながらも、金子は晴れわたった空の下に広がる、雄大な地を思い浮かべていた。

 

経験してみなければ、何も分からないし、決められない

金子が仕事として、商社、しかも専門商社を選んだのは、「日本と海外を行き来できる仕事をしたい」という漠然とした希望からだった。その希望を胸に就活をする中で、経験できる仕事の選択肢が広いと感じられたことが、金子をJFE商事へと導くことになった。

「世の中は何があるか分からない。仕事についても、学生は実際に経験していないのだから、就活を通じて見えている世界はほんの一部なわけです。だから、就活の時点で自分の仕事を決めることはできない。だったら、なるべくいろいろな分野の仕事を経験できる商社を選ぼうと考えました。大学時代にアメリカのボストンに留学した経験がありますが、そのときも同じ気持ちでした。何があるか分からない、分かっているのはそこに飛び込めば何かがあり、それが自分の成長に繋がるということ。会社選びもその時のマインドで臨んだんです」

金子が留学した理由は、単に英語のスキルを上げたいというだけではなかった。大学受験の際、第一志望に受からなかった自身のコンプレックスを克服したいということが、主な動機となっていたのだ。

「社会に出たとき、第一志望の大学を出た学生に負けたくない。そのために、大学を取っ払った世界でゼロから試したい。そんな経験をすることで、自分は必ず成長できる、と考えていました」

ところが、ボストンに着いた初っぱなから、時差に加えて冷たい雨、そして、出国前に処置をした親知らずの不具合のせいで発熱した。留学生とは言っても、1年生扱いの金子にあてがわれたのはボロボロの寮。身の回り品は各自が用意する決まりなので、ベッドには布団もない。寮内にある自動販売機は壊れていてなぜか手持ちの札を飲み込まず。小銭がわずかしかなく、水のペットボトルを2本しか買えなかった。ネイティブの英語は速すぎて聞き取るどころではない……。

散々なスタートを切った金子だが、とにかく単位を取得しないと、強制帰国になってしまう。授業はちんぷんかんぷんだったが、熱心に聞いているふりをし、授業終了後に先生に積極的に質問しに行くことで、自分を印象づけた。金子にはこのように、ちゃっかりしているが憎めないところがあり、そして、的を得ているかどうかは別として戦略的なところがある。この性格が後の局面においても生きてくることになる。

「JFE商事に入社することになったのは、会社説明会で登壇された方のお話に感銘を受け、雰囲気も好きだと感じたのがきっかけです。説明会では、プロフィール用紙に記入したらそのまま置いて退席する流れだったのですが、私はあえて最後まで残って、その方に直接手渡しをしました。自分を印象づけることが狙いでした(笑)」

 

世界最大の造船メーカーとの苦楽の体験

その作戦が功を奏したかはともかく、晴れてJFE商事に入社した金子。最初に配属されたのは、鉄鋼貿易を扱う事業部の造船鋼材貿易室だった。同室の仕事は主に、韓国にある世界最大の造船メーカーの対応である。といっても、世界最大の造船メーカーともなれば取引規模も大きく、取引先も大きな会社ばかりで、商談への担当者の関与は限られている。担当者としての責務は、とにかく納期通りに、スムーズに商品を届けることだった。

「最初は〝営業〟ではなく事務処理を覚えることから始まりました。でも、『自分は即戦力となることを期待されているんだ』という根拠のない自信があり、先輩方や上司の話に混ぜて欲しくて仕方がなかった私は、何にでも首を突っ込もうとしていました」

しかし、入社2年目を迎え、先輩の海外異動に伴って担当を与えられた金子は、すぐにこれまでの自分の甘さを思い知らされることになる。本格的に商社パーソンとしての業務に相対することになったからだ。

お客様が大手というだけでなく、仕入れ先の鉄鋼メーカーの担当者が非常にやり手で、胃の痛くなるような思いを何度も経験した。その担当者は入社年次もずっと上で経験にも圧倒的な差があったので、余計、自分の力のなさを感じさせられたのだ。

「自分には能力がある、先輩に混じって仕事ができる」などと自信を持っていた金子だが、ここで完全に打ち砕かれてしまう。経験値による、圧倒的な差を見せつけられたわけだ。情けなく悔しくて涙する日も多々あった。しかし、経験のなかった自分を本気で鍛えてくれた恩人でもあると、今の金子は振り返る。

 

「それがルールですから」は通用しない、シビアな世界

当時金子が担当していたような世界最大規模の取引先相手では、何よりも、商品をスムーズに届けるのが最優先事項であった。一般的に、決まっているスケジュールさえ守ることができれば、難しい仕事ではないと思えるだろう。しかしこの〝スケジュール通り〟が、なかなか簡単にはいかない。商社パーソンの腕の見せ所がそこにはあるのだ。

たとえば、鉄鋼材料は必要とされている現地工場まで、船舶で輸送する。輸送船が停泊する港に、商品を運び込むための専用スペースが設けられており、そのスペースに停泊する順番は、○○重工が1番目、△△重機が2番目、というように、あらかじめ決められている。しかし取引先によっては、「自分を先にして欲しい」と、無理を言ってくることもある。多くの取引先がある以上、普通に考えれば、たとえ自分が担当する顧客の言うことであっても、そうした声を一つひとつ拾っていくことはできない。スケジュール通りに積み込みが進まなくなってしまったら、部品のデリバリーが遅れてしまう。すると、現地での製造スケジュールを滞らせてしまうことになる。

しかし取引先も、それを重々承知の上で「そこを何とかならないか」と言ってくる。積み込みスペースが空くのを待っている時間も、輸送船を動かすコストがかかっているためだ。

「お客様に相談されたことは何でも対応すればいいのか、といえば、そうではありません。できることなのか、どうしても無理なのかを判断して、できないことであれば、納得頂けるよう説明することが大切です。そのためには、室内の他の担当者とも話し合うなど、調整してみることも必要です。『決まっていることなので』と、一言で説明するだけでは納得して頂けない。複数のプレイヤー間で発生する利害をどうさばいていくか。これも商社パーソンにとって腕の見せ所となるわけです」

実際、デリバリーが遅れることで、工場のスケジュールに支障を来すというような問題はほとんど発生しない。それは、金子らのような商社パーソンが必死に両社と会話してなんとか調整し、ギリギリの状態であったとしても最終的に帳尻を合わせているからだ。

 

周囲のサポートを受けながら、着実に成長していく

しかし金子は孤独ではなかった。まず、取引先の担当者の温かい態度が支えとなった。

「例えばお客様から納期などについて相談があった時には、仕入れ先の鉄鋼メーカーに交渉することに加え、お客様にも交渉し、譲歩頂いていたのを、今でも思い出します。年上の方でしたが、仕事だけでなく、プライベートな恋愛相談なんかにもアドバイス頂いて、本当によくして頂きました」

また、部署の先輩や上司も、彼の懸命な姿を見守っていた。「先輩の話に混ざりたくて、首を突っ込んでいた」金子に、周囲の人間も好感を抱いていたということだ。こうした、愛嬌のあるところ、人としての魅力は、この先も金子の大きな武器となる。

こんなこともあった。

国や文化の違う人と取引をしていく商社の仕事では、宴席でのコミュニケーションが大切になることがある。韓国では特に、お酒の席は重要だという。韓国からお客様が来られた時などは、慣例として接待の席があった。

「私はお酒はビール2杯程度が限界なのですが、だからといって辞退するわけにはいかないので、本当に大変でした。ただそんな中でも、課長に気を遣ってもらった経験を思い出します。ある接待のとき、とうとう酔っ払ってしまいました。自分では大丈夫なつもりでしたが、よほど危なっかしかったのでしょう。帰りに課長が『金子のカバンは俺が持って帰るから。心配せずに家に帰れ』と。そのまま都内の実家に帰ったのですが、手ぶらで帰ってきた私を見て、親が『上司に鞄を持って帰ってもらったなんて、……あなた、そんなことで大丈夫なの?』とあきれていました(笑)」

造船鋼材貿易室には5年在籍。ここで金子は商社パーソンとしての基本的な業務や仕事への取り組み姿勢を学んだほか、この先の人生を左右することになる運命的な出会いを果たしていた。OJTを担当したA氏と、室長であったB氏だ。この2人の人物が、今後金子がキャリアを歩む上で、しばしば現れることとなる。しかしこの時点ではまだ知るよしもない金子であった。

次に配属された一般厚板貿易室では、前室とは全く異なる仕事が待っていた。前部署では、大手の取引先であったため、一社の対応に集中することができ、仕入れ先も鉄鋼メーカー一社の一部署との接点を持つことが特徴であった。しかしここでは、契約形態も、扱う商品の種類も多岐にわたり、同時にいくつもの取引先を担当することとなった。仕入れ先も増え、それまで取引をしていた鉄鋼メーカーだけでも4つの部署と渡り合うほか、他の鉄鋼メーカーともやり取りをするようになった。

「お付き合いする相手が一気に増え、最初は顔と名前を覚えるのだけでも大変でした。また、それまでの取引では必要のなかった、価格・運賃交渉、それに伴う契約書作成と、新しいことだらけです。また業務で英語を多く使うようになり、こちらも慣れるまでに苦労しました」

このように着々と新しいスキルを身につけていた金子に、ついに力試しのチャンスが訪れた。入社6年目の終わりに差し掛かる頃、タイJFE商事会社への出向が決まったのだ。

⇒〈その2〉へ続く

 


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