商社の仕事人(76)その2

2021年02月11日

JFE商事 金子 純

 

〝鉄〟の新たなフロンティアを

目指して

 

 

〝アジアのラストフロンティア〟ミャンマーへ

2012年4月、金子は入社7年目を迎えると同時に、タイJFE商事会社という次なるフィールドに立った。当時、タイJFE商事会社で社長を務めていたのが、B氏である。金子がJFE商事で初めて配属された造船鋼材貿易室で室長だった人物だ。金子は再びB氏のもと、得がたい経験を積んでいくこととなる。

この時期タイJFE商事会社では、ミャンマーでも最大の都市、ヤンゴンへの支店開設が進んでいた。長らく軍事政権下にあったミャンマーは2011年3月より、テイン・セイン大統領のもと、民主化に向けて歩み始めていた。資源が豊富でアジア新興国へのアクセスもよく、今後の経済発展が期待される都市である。

ただし金子の赴任当時は未だ米国の経済制裁下にあり、外国企業の進出はまだ進んでいなかった。未開拓かつ成長への高いポテンシャルを持つ地域だったため、ミャンマーは〝アジアのラストフロンティア〟と呼ばれていた。

いわば、手つかずのごちそうが目の前のテーブルに乗っているようなもの。商社パーソンであれば、脇目もふらず市場開拓に集中するべきである。しかし、金子はなぜか、本拠地であるタイで逡巡していた。同業の商社が進出しておらず、情報が何もない中で、ミャンマーでの仕事に行き詰まりを感じていたのだ。

「どこから手をつけてよいのか分からない中で、まずはヤンゴンのホテルにあったイエローページで鉄を扱っていそうな企業を洗い出しました。アポイントを取るにもミャンマー語が喋れないので、現地での移動を依頼していた運転手に、チップを渡してアポイントを取ってもらうことまでしました。次に、問屋を直接訪ねて『鉄の扱いが大きい企業を五つ教えてください』と質問しました。教えてもらった企業を訪ねて、また同じ質問をする。このようにして、ミャンマーにおける鉄のマーケットがどうなっているのか、全容を知ろうとしたわけです」

文字通り足を使っての営業を開始したわけだが、一人の力ではなかなか捗るものではない。一方、タイからは出張してきているわけだから、契約をとって帰らねば、タイの本拠地で働いている上司や同僚に合わす顔がない。

「タイで自分が担当している仕事もあるわけです。それを脇に置いてミャンマーまで出張しているのに、結果が出ない。どうすればよいか分からない。自信を失って、次第に、ミャンマーには足が向かなくなりました」

しかし、そんな状況を横で見ていたB社長から厳しい言葉が飛んできた。

「もう金子には頼まない。本社に要請して、ミャンマーに社員を派遣してもらう!」

結果を出せない自分より、本社の人材に任せた方がいいのではないか。しかし、役立たずの自分はどうすればよいのか……。金子は苦悩した。そんな時、温かい言葉とともに、背中を押してくれたのが、金子と同じようにタイに駐在していた同期の友人だった。

「純ちゃんは頑張っているけど、B社長が求めていることからずれているんじゃない? 社長は純ちゃんに、ミャンマーに全力で注力して欲しいんだよ。タイの仕事は全部置いて行って僕らに任せていいから、ミャンマーに集中しなよ」

一人で悩んでいた金子は、この言葉にハッとした。〝俺は何をうだうだしていたんだ。行かない言い訳ばかりを一人で考えていた。仲間がいたのに‼︎〟

決心を固めた金子は、ついに社長室を訪ね、「自分をミャンマー出張へ行かせてください!」と直談判。社長からは「言ってくるのが遅い!」と厳しい言葉を言われたが、それは同時に激励でもあった。

 

現地の合弁会社とともに、未来への第一歩を踏み出す

「5000トンの成約をとるまで帰ってくるな」のセリフで送り出された金子は、オープンチケットの最大期間である半年後のチケットを握りしめてミャンマーへ飛んだ。家族には、「もしかしたら本当に半年ぐらい帰ってこないかも」と冗談まじりに伝えていたが、自身では本気で覚悟を固めていたのである。

結果として、この経験が金子の人生への扉を大きく開くこととなった。

ミャンマーが軍事政権に変わった時、日本企業はほとんど撤退をしていた。しかしかろうじて残っていたのがJFEグループ企業であるJFEエンジニアリングだった。ミャンマー政府との合弁で、橋梁をつくる会社を立ち上げたばかりだったのだが、プロジェクトに必要な商品をタイムリーに調達できず、プロジェクトが遅れる懸念があったのだ。

「私は、韓国のある鉄鋼メーカーを提案させて頂いたんです。お客様はそれまで韓国のメーカーから購入したことがなく、『大丈夫なのか』と不安を感じていました。しかし私は過去にその鉄鋼メーカーを担当していたこともありますし、韓国のお客様相手のビジネスノウハウもありました。そこで、韓国の鉄鋼メーカーの実績・品質ともに信頼できることを自信を持っておすすめすることができました」

相手も「それならば」と金子の弁を信頼し、数百トンのオーダーを受注することができた。社長に言われた「5000トン」にはさすがに届かなかったが、開発著しいミャンマーでは、これからどんどん、新しい橋がつくられることとなる。同社との契約も、今後数千トン数万トンへと膨らんでいくことは間違いなかった。

「成約してから直ぐに社長から電話がありました。『そろそろ帰ってこい。今週末はタイで家族とゆっくり過ごせばいい』と言って頂けて、背水の陣でミャンマーに乗り込んでいたので、なんとも言えない気持ちになりましたね。何より、材料が入手できず行き詰まっていた、現地の事業をサポートでき、喜んでもらえたこと、これから伸びていくミャンマーの経済発展にも携われたことが本当に嬉しかったです」

同じタイミングで米国の経済制裁も緩和され、コツコツ続けていた問屋向けの取引もうまく回り始めた。また前述の橋梁をつくる合弁会社に関しては、現在に至るまで、JFE商事が最大の扱い量を誇っている。金子がせっせと足で開拓した事業が芽を出してすくすくと成長し、今、大きな実を結んでいるわけだ。

⇒〈その3〉へ続く

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験