ユアサ商事 石川 慎
顧客から仕入れ先まで
幅広い人脈を築き、
ビジネスのしくみを構築する
「勉強してから来てください」と言われて
ユアサ商事の主な販売先は、最終ユーザーではなくディーラーだ。その意味を石川が理解したのは、内定式で各部門の業務について詳しい説明を聞いたときだ。ユアサ商事はメーカーから仕入れた商品をディーラーに納め、ディーラーがユーザーに販売するのが主な商流になる。ところが関係会社のユアサテクノではディーラーを通さずに直接ユーザーに納める場合が多い。
ユーザーと直接向き合う仕事がしたいという思いが強かった石川は、希望した通りユアサテクノに配属され、半年後には一人で営業に出た。新人が仕事に慣れるために関係の良好なクライアントをあてがうようなことは一切なく、訪問先は新規開拓先や長い間取引がなかった会社ばかりだ。相手の担当者が誰かわからないことは珍しくない。訪問する会社のホームページで最低限の情報を得て、何を提案するか先輩からアドバイスをもらう。だがいざ訪問先で担当者と対峙すると、専門用語がポンポンと飛び出して何を言われているのか理解できないことがままあった。
「お宅、もっと勉強してから来てください」と言われた。わかっていても屈辱的だった。
その会社は工作機械に装着して使用する刃物のメーカーで、ユアサテクノと10年近く前に取引があったものの、それ以来「休眠状態」になっていた。現れたのは、いかにも経験豊富と思われる生産技術担当Aさんだった。研磨機や工作機械の提案をしてみても反応がない。石川は自分の声がうわずってくるのを感じた。
やがて「あなたの言っていることはよくわからない。その機械はどういう構造なのかな。そもそもうちに入れるメリットがあるのですか」と尋ねられた。
「それは、サイズがこうで、処理速度が……」
やっとのことで言えたのは、なんとか覚えてきた機械のスペックだけ。質問に対する答えになっていない。準備不足なのは明らかだ。そして「勉強してから来てください」と言われたのは、相手の偽らざる本音だったに違いない。営業に出てから、あからさまに見下されたこともあるし、薄笑いを浮かべる相手もいた。だがこのときほど言葉が胸に深く突き刺さったことはなかった。その一方で、自分の未熟さを認めるしかないと素直に思えた。相手の素振りに悪意は感じなかったせいもある。
社に戻ると先輩に報告したが、ここでも石川はあたふたすることになった。懸命に取ったメモを見返してみても、肝心な内容が抜け落ちている。舞い上がってどうでもいいことばかり書いていた。
「メモぐらいちゃんと取れよ‼︎」
先輩は半ばあきれながらも、勉強しておくべきポイントを教えてくれた。
一週間経たないうちにその会社に再び赴き、聞かれたことになんとか答えることができた。このままで終わらせるわけにはいかない、という気持ちに突き動かされた。その後も通い続け、わからないことが出てくると勉強してまた行った。相手に言われた通りのことを愚直に繰り返したともいえる。ビジネスにならない行為を石川は続けていた。しかし、相手もそれに付き合ってくれたのだ。
最初に訪問してから半年後に、初めてAさんから「あのときの機械、社内のほかのところで使えそうだから紹介するよ」と言われテストを実施した。その結果性能には満足してもらったが、金額が予算と合わなかった。努力すればすぐ報われるというほど、現実は甘くはなかった。
「少しがっかりしたことは事実です。でも少なくても機械の性能は認めてもらえた。ボクにしてみれば大きな前進です。諦めはなかったですね」
通い始めて1年半後のことだ。ある日、 Aさんの部署のキーパーソンを紹介された。さっそく改めて訪問してみると、検討中の新規案件があるということで提案する機会をもらうことができた。結果、石川の提案が採用され、この会社からの初受注に結びついた。この実績にたどり着いてから一気に仕事が増え、今では石川にとって5本の指に入る主要なクライアントのひとつになっている。
「何が相手を動かしたのか。あるいは運がよかっただけなのか。今もわからないのが正直なところです。ただ何かあるとすれば、相手の質問の内容の意味やそのことを尋ねた理由を繰り返し考えてみて、自分の言葉で回答するようには心がけていました。だから『もう来なくていい』とは言われなかったのかもしれませんね」
石川はこう振り返る。確かなのは、この経験が訪問前の準備、更には客先ごとに提案内容・提案メーカーを考えることの大切さに気づくきっかけとなり、石川の社会人生活の原点になっているということだ。
異物混合が多くて入札に参加できない?
2年目の10月に、大手のクライアントを何社か任された。しかし大型案件の入札に参加すると、いつも受注までたどり着くことができない。同じことが重なるうちに、会話中の一言やわずかな表情の動き、場の雰囲気から「また今回もだめかもしれない」と気づくようになった。
機械設備のスペックや価格はもとより、その工程を経験したことがあるかどうかが問われていた。ことに重要なクライアントが多い自動車産業では、ユアサテクノと取引のあるメーカーだとエンジン関連の専用装置を設計・製作するノウハウを持つところが少ない。このままではらちがあかないと考えた石川は、技術部門の社員とともに新たなメーカーを開拓し始めた。自動車会社や建設機械会社、エンジンを作る会社に納めている機械メーカーを選び、どのような装置を作っていて、強みがどこにあるかを尋ねた。有望と思われるメーカーには「いい案件が来たときにまた相談させてください」と依頼して情報交換を続けた。
1年後、そんな地道な準備が受注に結びついた。
ある大手自動車部品メーカーの名刺を、なぜか1枚だけ先輩社員が持っていた。以前取引があった休眠会社なのか、名刺交換をしただけで終わったのかも定かではない。先輩から受け取った名刺1枚を頼りに、とにかくその人に会いに行った。退職間近の年配の人だった。石川が商材を紹介すると興味を持ったようだった。
「おもしろいね。だけどね、私は商談を持ってないんだ」
「そうですか。では恐縮ですが、できればほかの方を紹介していただけませんか?」
「それもね、うちの会社はどこも商権が確立しているからね」
つまり設備を入れるルートはもう決まっているから、よそが入り込む余地はないという断り文句である。現状で問題がなければ手間を増やしたくないので、取引口座を持っていない商社はよほどのメリットがない限り相手にされない。だがこの会社は規模が大きく仕事はたくさんあるはずだ。なんとか関係をつないで入り込む機会をうかがおうと考えた石川は、諦めずに新しい提案をしに度々顔を出した。商材は他にひけをとらない。商談さえ手に入れられれば勝てる見込みはあった。
一度断ったのに何度も営業に来られると、嫌な顔をする相手も多い。だが幸いなことに、その年配の人物はいつも真摯に石川に対応してくれた。世間話も途切れ、帰り支度をした石川に、背後から声がかかった。
「何度も通ってくれるのに悪いね。私は権限がないからなにもできないが、大きなプロジェクトを抱えている部門があるから紹介してあげよう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
願ってもない話である。紹介された担当者に会ってみると、金属部品の加工ラインに入れる鋳物の洗浄機器を入れ換えるという。入札にはなんとか加えてもらったが、その自動車部品メーカーにとっては、すでに取引がある商社からよりよい条件を引き出すための〝当て馬〟だと石川もわかっていた。ただ洗浄機器メーカーと相談すると、数百万円のコストダウンができるという。
ところが性能面で問題が生じた。入札前の検討段階で機械のテストをするよう求められた。するとほかの洗浄機器と比べて異物混入の量が多かったのだ。
「安いという話だからちょっと期待したけど、これではだめだね」と言われて、石川は頷くしかなかった。
それから数日後、新規開拓した機器メーカーの知り合いと世間話をしていた石川は、ふと洗浄機器の商談を思い出して口にした。
「こんなことがあったんです。機械のテストって、うまくいかないものなんですかね」
「そうですね。ことに鋳物の洗浄はどこまで調べるかでイズナの出方も全然違っちゃいますしね」
イズナは「いものずな(鋳物砂)」の略で、洗浄精度を測る際には不純物扱いとなる。
「その一言で、もしかしたら、と思い当たったんです」
洗浄機器メーカーに問い合わせると、加工した鋳物の部品全体の異物混入をテストしていた。他社は加工した部分だけをテストしているのではないか。ならば再挑戦できる可能性が出て来る。ドキドキしながらクライアントの担当者に連絡を入れた。
「うちはこういうテストをしたのですが、やり方が違っていませんでしたか?」
「えっ? ワーク(加工する部品)全体を調べたの? それじゃ不純物が多くなるよ」
急いでテストをやり直すと、果たして入札条件を十分クリアーするという結果が出た。
「数百万円のコストカットができるとなれば、話が違ってくるはずだ」
石川は、飛び上がらんばかりに結果を報告した。果たして、競争入札の結果、ユアサテクノの提案が選ばれた。
⇒〈その3〉へ続く