商社の仕事人(78)その1

2021年02月16日

ダイワボウ情報システム 川畑佑介

 

ロジカルな思考と人脈形成術で

困難な案件もものにする

 

 

【略歴】
川畑佑介(かわはた・ゆうすけ)
1990年千葉県出身。経済学部卒。2014年入社。

 

依頼をこなすだけで精いっぱいの新人商社パーソン

「川畑さん、うちが取りましたよ!」

それは、前日から祈るような思いで待っていた電話だった。入社5年目にして、主担当として挑んだコンペにより勝ち取った2億円の案件。スマホを握りしめながら、こみ上げる喜びを噛みしめていた川畑は、同時に1年半という長期戦を戦い抜いた怒涛の日々を振り返らずにはいられなかった。

 

商社パーソンとして初めて顧客を任されたのは、入社2年目の4月のことだった。中でもA社は大手電機メーカー系列の商品を扱う販売店で、関西エリアを中心に多拠点展開をしている企業であったため、業務量は膨大なものだった。とはいえ、ビジネスという面で言えば決して数字が大きいわけではなかった。ケーブル1本から注文が入るなど、御用聞きのようなポジションを求められることも多々あった。商社パーソンとして大きな仕事がしたいと意気込んでいた新人の川畑にとって出だしは好調というわけにいかず、手間ばかりかかる仕事に、やりがいを見いだせなかった時期もあった。

「そんな私の気持ちを見抜いたのか、ある日直属の先輩Nさんから叱責を受けたんです。依頼を正確にこなすことは、社会人としてできて当たり前のこと。そこから一歩進むためには、依頼プラスαで自分が売りたいものを売り込めるようになる必要がある。そのための工夫ができていないと指摘され、ぐうの音も出ませんでした」

確かに当時の川畑は依頼をこなすだけで精いっぱいで、そこに川畑だからこそできる仕事の工夫を加える余裕がなかった。初めて顧客を任された新人とはいえ、場当たり的な仕事の進め方など大いに反省しなければならない部分も多かった。以降、先輩Nさんに指導を仰ぎ、何事もロジカルに考えることを心掛け、商談の前には起こり得る事柄を徹底的に考え抜き準備を入念に行うなど、川畑は商社パーソンとしての土台を築き上げていった。

一方で、川畑にはもうひとつ、越えなければならないハードルがあった。それは、大阪という土地独特の商習慣に慣れることだった。当時配属されていたのは中央大阪第一支店であり、商人の街のど真ん中。顧客も百戦錬磨の商売人ばかりだった。関東出身の川畑にとっては、彼らの言葉遣いや〝ノリ〟一つとっても、戸惑い圧倒されるばかりだったのだ。

「例えば、お昼までに納品しますと約束し、午前11時頃に伺うと、『何しとんねん! 遅いやないか!』と突然怒鳴られたこともありました。先方は半分冗談のつもりだったかもしれませんが、自分が関東出身だからか、かなりメンタルを削られましたね(笑)。それと、最初のうちはなかなか懐に入れてもらえないことにも苦労しました。どこの出身かと聞かれて関東だと言うと、〝よそ者か〟という感じで仲間に入れてもらえないような空気感があった。どうしたら人間関係を築くことができるのか分からなくなった時期もありました」

⇒〈その2〉へ続く

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験