ダイワボウ情報システム 川畑佑介
ロジカルな思考と人脈形成術で
困難な案件もものにする
顔が見えない人からは何も買いたいとは思わない
悩める川畑を救ったのは、またもや先輩Nさんだった。「顔が見えない人からは、誰も、何も買いたいとは思わないぞ」。確かに当時の川畑は、依頼を受ければスピーディな対応を心掛け、きちんと客先に出向いていた。しかし、それは依頼を受けたときだけのこと。依頼がないときにまで訪ねていくということはしていなかった。用事がないのなら行く必要はない。それが当たり前だと思っていたからだ。
しかし、Nさんの言葉を聞いて、商売とはそんなドライなものでは成り立たないのだと気付く。そして依頼のあるなしにかかわらず、客先を訪ねるように心掛けた。例えば、A社に対する当時の一日のタイムテーブルは、午前中にA社に〝出社〟し、窓口となっていたソリューション営業部を訪ね、全部員に挨拶をし、困り事はないか声をかけ、提案書を配布することから始まった。そして昼過ぎまではA社に常駐し、午後にようやく自社に戻り別の仕事を片付けるといったスケジュールだった。A社にとって、気づけばいつもダイワボウ情報システム(DIS)の営業担当が部署内にいて、いつでも依頼ができるという環境を整えたわけだ。
よく、〝営業は足で稼ぐ〟と言われる。しかし、学生時代の川畑はそれをナンセンスだと感じていた。無駄に動いて足を運んでというやり方は、合理的でなく非効率的だとすら思っていたのだ。
「対人間の仕事である以上、先輩のNさんが言った通り顔が見える人をより信頼して、そういう人からモノを買いたいと思うのは当たり前のこと。〝足で稼ぐ〟という言葉にはそういう意味があるのだとやっと気付かされました」
やがて、A社のソリューション営業部のキーパーソンであるT氏が川畑に声をかけてくれるようになる。T氏は非常に厳しい人物で、A社内の若手社員には恐れられている存在だった。しかし川畑は、このT氏を尊敬していた。厳しいのは確かだが、決して間違ったことを言ってはおらず、常に顧客のことを最優先に考えるビジネスパーソンだったからだ。その姿勢に感銘を受け、社会人としても手本とするべき人だと感じていた。
ある時、製品に対するクレームが入り、T氏は川畑にメーカーとの調整を依頼した。その案件はDISにとっては手を離れたものだったが、川畑は調整役を買って出て、A社のフォローに努めた。この出来事をきっかけに、T氏との関係がより強くなり、いくつものビジネスにつながっていった。
「T氏は私より10歳以上年上でしたが、非常にかわいがってくれて、お互いの会社が徒歩圏内にあったもので、よくランチにも出かけ色々なお話を聞かせてもらいました。その後もずっといい関係を築くことができていて、実はA社で一緒に働かないかと、ヘッドハンティングのようなお誘いを受けたこともあるんです。もちろん、その件は丁重にお断りしましたが(笑)」
顔の見える関係をつくったことでビジネスが回りだし、さらにはビジネスを超えた付き合いまで生まれた。この出来事は、川畑に商社の仕事のやりがいを強く感じさせることになった。
技術職を味方につける〝社内営業〟に勤しむ
着実に商社パーソンとしての力を蓄えながら、迎えた入社四年目のこと。川畑は当時のチームリーダーの交代に伴い、大手販売店C社を担当することとなる。これまでの仕事とは規模感が桁違いに大きく、数字を求める商社パーソンとしては魅力的な相手だった。それまでにも500万円、1000万円という規模の案件をいくつも取っていたが、大口の案件を手掛けたいという野望も芽生えていた頃だ。これまでとは違ったビジネスの世界を見ることができるかもしれない。そう考えて、楽しみで仕方がなかったと川畑は当時を振り返る。
「担当引継ぎのために初めてC社を訪れるときには、前任者のチームリーダーだけでなく部長・課長クラスの上司も同行し、先方からも同じ役職の方が同席されました。対会社といった重要な取り引きを行う相手なのだと、身が引き締まる思いでしたね。ただし、先方は戸惑ったかもしれません。以前よりC社を担当してきたのは一定のキャリアを積んだ役職者だったため、まだ若い、言うなれば平社員が次の担当ということで、戸惑われたと思いますよ(笑)」
それでも川畑は、この機会をチャンスと捉えがむしゃらに走った。C社はSE・CEを合わせると関西だけでも200人以上という大所帯。日々の小口案件の問い合わせに対応するだけでも膨大な業務量だった。しかし、それらを依頼されるままにこなしていた頃の川畑とはもう違っていた。先輩Nさんの教えを受け、A社T氏のビジネスパーソンとしての姿勢を学び、ロジカルな思考を兼ね備え人間関係構築のコツも身につけていた。提案型の商社パーソンに進化していたのだ。
求められるビジネスもより高度になっていき、モノを売るだけではなくシステム構成の提案を求められるなど、当時の川畑の知識だけでは追い付かない案件もあったという。そんな時、どんな方法で乗り切ったのか。それは、DIS社内の技術者に協力してもらうというやり方だった。
DISには、基幹システムやイントラネットなど社内システムの構築・運営の知識を持った技術職社員が、またグループ会社にはメーカー製品などに精通した技術職社員が豊富にいる。そして営業の中には、技術職の社員と上手に連携しながら案件を進めている社員がいることを、先輩や上司の仕事の進め方を観察しながら川畑は学んでいた。自分は文系出身であり、ITの知識は決して豊富ではない。そして高度な案件が発生した場合、生半可な知識では相手に太刀打ちできず、技術職の協力を仰ぐことが不可欠になる。そう予測していた川畑は、早くから〝社内営業〟を行い、技術職との人間関係構築も進めていたのだ。何事も場当たり的ではなく、ロジカルに考え先を読み準備をしておく。先輩Nさんの教えが、川畑を成長させていた。
「営業と比較すると、技術職の社員はそう多くはないんです。そのため、こちらの都合だけでタイミングよく協力してもらえるとは限りません。しかし、重要で緊急の案件というものはどうしても出てきます。そんな時、〝アイツの頼みなら頑張って協力するか〟と感じてもらえるには、顔の見える関係を作っておくことが必要。これは、対お客様との関係構築と同じことです。そのため私は時間さえあれば技術部隊に顔を出して、私自身を知ってもらう〝営業〟を行っているんです」
⇒〈その3〉へ続く