商社の仕事人(79)その1

2021年02月19日

稲畑産業 本多貴裕

 

理工系大学院卒の商社パーソンが

中国の農業を変える

 

 

【略歴】
本多貴裕(ほんだ・たかひろ)
1988年、東京都出身。筑波大学理工学群化学類卒業。2014年入社。

 

イチゴと稲畑産業

「視聴者のみなさん、今日は山東省からお伝えします! こちらの農場ではいま、日本から導入されたイチゴの〝高設栽培〟の実証実験が行われています。ご覧の通り〝高設栽培〟とは従来の地面に植える土耕栽培と全く異なり……」

2018年、中国。テレビ局レポーターの溌剌とした声が、大規模なビニールハウスのなかに響き渡る。ここは化学専門商社として名を馳せる稲畑産業が、現地パートナー企業と共同で開設した農業試験場。テストしているのは、地面より高い位置に棚を組んで育てるイチゴの高設栽培システム一式だ。

日本ではすでにさまざまなイチゴの高設栽培が広まっており、観光農園などでもよく知られている。だが中国ではそもそも、コストをかけて育てる高級イチゴ自体が広まって日が浅い。まだ主流は固くて甘みに乏しいイチゴだ。そうしたなかでやわらかく甘みの豊かな日本の高級なイチゴに対する関心が急速に高まっていた。その新しい栽培システムが現地メデイアの関心を惹くことになったわけだ。

新技術を導入して、付加価値の高い高級イチゴを中国で栽培する―。稲畑産業としても初の取り組みとなるこの新しいビジネスを2018年(入社5年目の時に前任から引継ぎ)から任されているのが、本多貴裕だ。

本多が所属する情報電子第二本部は、電子写真、インクジェット、3Dプリンターなどのデジタル印刷及びイメージング関連業界に、各種原材料を提供する部署。つまり本来は、農業とは縁もゆかりもない商材を専門とする。一方で食品ビジネスはかねてから生活産業本部が手がけており、そこで農業の取り組みも始まっていた。

だが2016年、自動車やライフサイエンス・医療、環境・エネルギー、そして農業を含む食品分野を注力分野とする―との方針が全社的なスローガンとして出される。これを受けて本多の前任者が取引のあった電子材料メーカーに相談を持ちかけたところ、農業資材用のテープやフィルムを作るメーカーを紹介されたのだ。

そこで中国のパートナー企業を通じて売り込みにいくと、たまたまカタログにあったイチゴの栽培システムに現地農家が食指を伸ばした。そのシステムは土壌や水を保持するシート素材などに独自の工夫があり、それが高く評価されたのだ。

実証実験は前任者が行い、好調な結果を示していた。だがイチゴは栽培にあたっての技術がモノを言う作物であり、設備を導入しただけでいきなり豊作となるわけではない。期待通りの収量を上げるには、導入先に対するフォローが不可欠だ。その役目を担ったのが、本多だった。

案件を引き継いだ本多はメーカーのイチゴ栽培職人、通称〝イチゴ博士〟を伴って中国へ渡る。早朝から導入先を訪問して栽培指導を行い、夜の間にまた次の農場へ移動―という強行軍の出張を繰り返し、中国全土を回った。こうした地道で粘り強い作業の積み重ねがあってようやく、高評価の高設栽培システム一式が成果につながっていく。さらにテレビで紹介されたことから、この栽培システムは中国全土に知れ渡った。殺到した引き合いが全て導入の条件を満たすわけではなかったものの、実績は着実に積み上がっている。

中国のイチゴ市場は巨大な規模が見込まれるため、イチゴの苗作りから現地で行おうというプランも持ち上がった。またこの高設システムは、トマト、メロンといった付加価値の高い作物にも応用が期待できる。農業という新しいフィールドでの可能性が、本多の前にますます大きく広がっていった。

 

研究生活に別れを告げ、国立大学の理工系大学院から商社へ

そんな本多だが、2016年7月に現在の部署に異動するまで農業とは何の接点もなかった。

本多は1988年、東京生まれ。幼い頃から高校まで打ち込んだものにサッカーがあるが、もう一つ彼を特徴づけるのが「理系」というパーソナリティだ。父親が企業の研究者を務めていた彼は、幼い頃から自然と科学や数字に惹かれる子供に育った。

その彼が岐路に立ったのが、大学進学の時。中学、高校と東京の大学付属一貫校で学んだ彼は、当然ながら大多数の同級生とともに付属大学へ進む選択肢があった。だが付属大学に理系の学部はない。そこで「人にあまり流されず、自分の考えを貫こうとするところがある」とも自己分析する本多が志望に選んだのが、国立大学の理工系学部を受験するという道だった。

こうして進んだのが、筑波大学理工学群。教員養成大学としても名高い筑波大を選んだ背景にはまた、教育者になりたいという漠然とした希望も後押ししていた。

専攻に選んだのは、物理化学。いわば物理よりの化学というスタンスから、触媒などの研究を続けた。そして四年目を迎えた彼は、さらなる研究の道を目指して大学院へ進学。だが2年目の研究生活を迎えた彼のなかで、自分の将来像に対する新しいビジョンが固まりつつあった。

「研究そのものは面白く、大きなやりがいを感じさせてくれました。でもそんな研究を通じて学んだ新しい技術、面白い知識を社会に紹介していくほうが、自分には向いているのではないか。一つのことを究めるより、人を通じてそれを広めるほうが、自分にとってワクワクできるモチベーションにつながるのではないか―」

そんな想いが、本多の中で広がっていた。

周囲の多くは、企業の研究職を目指していく。本多自身も先輩の推薦で著名なメーカーを数社受けてはみた。だがやがて自分の志望に対して確信を抱いた彼は、独自の道を自らの将来に定める。それが、商社という世界だった。

「メーカーは自社の製品を売るのがメイン。それに対して商社は、取り扱う商品の制限がない。自分が面白いと思ったものを見つけて、需要があるところに紹介していく―。そうした選択肢の広さが、自分の性分にすごく合っていると感じました」

「初対面の人と話す際には、私も人並みに緊張するのですが、知らない人と新しいコミュニケーションを作っていくことにはやりがいを感じます。また高校や大学の学祭でも、『本多が売り子をやるとよく売れる』と言われたものでした(笑)。飛び込みなども含めて、営業という仕事こそ自分が進むべき道だ―。そう確信して、志望先を絞り込んでいったんです」

これまでの研究生活で培った経験を生かせる分野は、化学系の専門商社ではないか。そう考える本多と稲畑産業が出会うのは、時間の問題だったといえる。稲畑産業ならではのスピーディな選考を経て内定を手にした時は、もう同社へ入社することに迷いはなかった。

その判断に間違いはなかったと改めて確信したのは、入社してまだ間もない頃。入社後の懇親会で、先輩と交わした何気ない会話がきっかけだ。

「うちの会社は個人商店の集まりみたいなものなんだよ。任せられた商材やエリアについて、担当者一人ひとりが自分自身の頭で考え、仮説を立ててビジネスを動かしていく。さらに商材そのものも自分で見つけ出してくることだってあるんだ」

そう楽しそうに語ってくれた。

担当エリア、担当商材のビジネスについては、自分が社内で唯一のエキスパートになることができる―。先輩の説明にいっそう闘志をかき立てられる本多。だがそんな社風も上司、先輩の手厚いサポートに支えられていることを身をもって知るまで、さほど時間はかからなかった。

⇒〈その2〉へ続く

 


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