稲畑産業 本多貴裕
理工系大学院卒の商社パーソンが
中国の農業を変える
入社3年目で農業分野の中国進出を任される
「本多、新しく作った農業用のフィルムを売りたいメーカーがある。中国での展開を頼みたいというんだが、お前やってみるか!」
東京に着任して間もなく、部長からじきじきにこんな声がかかった。
本多は東京の情報電子第二本部・第一営業部で、最大手プリンタメーカーを顧客とする営業を担当。やはり仕入先の部材メーカーの在庫管理、また各種の営業提案を任される。それまでと同じく部署の売り上げを支える重要な業務であり、1年目はシビアなプロの世界に圧倒された仕事だった。だが松本時代を経た本多にとっては、もう手慣れたものだ。彼は日々の業務を手際よくこなしながら、空き時間を作っては新規の商材を探した。「新しいものを見つけて社会に紹介していく」―。そんな商社パーソンとしての醍醐味に打ち込む彼に、「農業」という全く新しいテーマが委ねられたわけだ。
日本国内での販売は、そのメーカーが自社の販路を使って行う。稲畑産業には、各国の拠点を通じた世界展開の相談が持ち込まれた。そこでメインターゲットに絞り込まれたのが、中国だ。前述の通り農業資材ビジネスは稲畑産業の生活産業本部ですでに取り組まれていたが、中国での展開は初めて。文字通りゼロからの立ち上げが、まだ入社3年目の本多の肩に委ねられた。
農業用のフィルムを作ったのは、かねてから仕入先として取引のあった電子材料系のメーカーだ。フィルムは高度な先進技術を駆使し、農作物の収量を上げる優れた高機能な製品に仕上がっている。それだけに一般的なフィルムより値段は多少かさむが、画期的なメリットは明らかだ。「これは売れる!」。勝算を確信した本多は、闘志がみなぎるのを感じた。
中国進出の出発点に選んだのは、稲畑産業が拠点を持つ山東省の港湾都市・青島。そこに農業関連業界との強いコネクションを持つ中国人の現地スタッフがおり、彼をハブにしてパートナー企業探しを始めた。そして見つかったのが、たまたま別の本部とのビジネスで名前が挙がっていた企業だ。そこは農業用ハウス建設、栽培、さらに作物の販売まで一貫して任せることができる、理想的な業態を備えていた。だが何にも増して決め手となったのは、実直で誠実な会社という点だ。海千山千、玉石混交の中国企業とパートナー関係を結ぶにあたって、何より重要なのは信頼できる相手かどうかに尽きる。この事業を統括する本多直属の部長はとりわけ中国の赴任経験が長く、誰よりもそのことを熟知していた。
万策を尽くして一度の実証実験に全てのチャンスをかける
「本多さん、残念ながら全く期待した数字に届いていません。新しいフィルムを使えば収量が大幅にアップする、というのが当初の見込みだったでしょう。しかし今日全てチェックしたところ、想定の3分の1程度しか増えていないんです!」
結果が望ましくないことはすでに報告を受けていたが、改めて突きつけられた数字はショックだった。すぐさまメーカーの担当者とともに中国へ飛んだ本多は、きらびやかな青島市の大都会を素通りし、郊外の田園地帯に広がる実験農場へと車を走らせる。ビニールハウスへ駆け込んだ2人は収穫された野菜を手にしながら、現地パートナー企業担当者の説明に耳を傾けた―。
本多がそれまで扱ってきた化学品と、農作物の大きな違い。それは、結果を確かめるまで時間がかかることだ。本多が手がける農業用のフィルムはハイスペックな機能を有していたが、実際の野菜作りに導入した実績がまだない。そこでまず稲畑産業が中国で実証実験、つまり新しいフィルムを使って作物の栽培を行い、その成果をもってアピールを図っていく手はずが整えられた。実験といってもスケールは大きい。2000平方メートルのビニールハウス4棟が連なり、写真で報告を受けた本部長をして「こんなに大きいのか!」と驚かせたほどだ。
実証実験の指揮を取る本多が現地で農業用ハウス建設に立ち会ったのは、2016年冬。最初のテストは翌2017年9月から2018年5〜6月にかけて行われた。試験栽培されたのはメロン、トマト、パプリカなど、高コストなハウス栽培でも利益が上がる高付加価値の作物だ。
その後もことあるごとに本多は現地へ足を運んだ。中国出張は、一度につき1週間ほど滞在する。1か月に2度飛ぶこともあり、社内では本多が山東省へ駐在していると勘違いされることもしばしばだったという。日本にいる間も音声や映像で現場との会議を絶やさず、常に進捗状況を確かめ続けた。
そうして取り組んだ実証実験の不本意な結果―。だが落胆している時間はない。メーカーは3年目から販売実績を上げていく計画を立てており、実証実験のチャンスはもう一度、つまり後1年分しか残されていないのだ。
本多はメーカー及び現地パートナー企業担当者、青島の現地スタッフとともに、考えられる原因を洗いざらい話し合った。栽培品目の選定からフィルムの張り方に問題はなかったか。まだ見つかっていない病気が発生しているのではないか。水を撒く頻度、作物を植える間隔は1mと75㎝のどちらが適切なのか、温度や湿度の管理に改善点はないか―。農業が専門の現地パートナー企業のアドバイスを仰ぎながら、次年度の実験テーマを絞り込み、フィルムの改良や栽培管理方法などを皆で改善していった。
こうして迎えた2年目、2019年5月。万策を尽くしたという本多の自負は、ついに実験の結果に裏打ちされることになった。たわわに実った作物は、素人目にも明らかに大きくて元気よく育っている。
「このフィルムを使うことで農家は収量を大幅に高めることができ、年間これだけの費用対効果が得られる―。栽培コスト、収量、収益など詳細な数値データがようやく出揃い、優れた性能を実証的にアピールしながら販促を展開していけることになったわけです。これだけいい製品なのだから絶対に売れると、関係者みなそう信じていました」
売上1000億超の〝農業本部〟を目指して
だがそんな確信が先の見えない不安に変わるまで、さほど時間はかからなかった。
本多らは、実験データが揃った2019年6月から本格的な売り込みを開始。青島拠点の現地スタッフ、現地パートナー企業のコネクション、またイチゴの栽培システムの販路も足がかりとしてあらゆる情報を総動員し、本多自身も足繁く中国に通っては売り込みに歩いた。
主なターゲットは、特にフィルムの費用対効果が大きい大型の農業法人。だが保守的な彼らは声を揃えて製品のスペックを評価するものの、新しい資材の導入には決して積極的ではなかった。どこか1社でも採用してくれたら、他社もそれに追随するはず―。そんな望みをかけて数十社と商談を重ねたが、全く新しい製品に投資しようという企業は現れなかった。「全力で3年間費やしてきたが、中国でここまで受け入れられないようなら、正直このビジネスはキツいのかも知れない」。強気の本多にも、少し焦りが見え始めていた。
手応えのない販促活動を続けて半年。ようやく本多のビジネスに光明が差し込んだのは、そんな焦燥感が関係者一同に漂い始めた2019年末だ。相手は、最後の希望を賭けていた大手の農業法人。いつもと同じようにフィルムの説明をすると、手応えはそれまでとがらりと違った。
「まさしくこういう製品を探していたところだったんです。ぜひうちで本格的に導入しましょう」
現地関係者に加えて本多も交えた商談は、とんとん拍子に成立。一同はその夜、山東省のホテルで盛大な祝杯を挙げた。
「特に現地パートナー企業の担当者が大酒飲みで(笑)。それからしばらくはメーカー担当者、青島拠点のスタッフを交えて、現地での打合せ後に酒を飲み交わしては、喜びを分かち合いました」
中国での農業ビジネスで大きな一歩を踏み出した本多。彼はまたイチゴの栽培システムのほかにも中国にまだ導入されていない設備の紹介など、さまざまな案件を今意欲的に推し進めている。
「中国での農業ビジネスの多くはまだ種まきの段階ですが、一つひとつ丹念に大きく育てて花を開かせたい。いま情報電子第二本部での扱いは数億円レベルですが、これを数十億円に広げていくというのが最初のステージ。さらに100億台から上を目指しながら情報電子第二本部を支える柱の一つに成長させ、いずれは1000億を超える農業本部を立ち上げたいですね」
〝ワクワクすることを世の中に広めたい〟そんな想いで商社に飛び込んだ本多。夢は果てしなく続く。
本多 貴裕(ほんだ・たかひろ)
1988年、東京都出身。筑波大学理工学群化学類卒業。2014年入社。
「筑波を選んだ背景には、国立に進む人があまりいなかったので周囲をぎゃふんと言わせたい、というのもありました。結果的に中学、高校と同じ環境で過ごした自分にとって、さまざまな人と触れ合うことができ、いい刺激になったと思います。研究以外にも小学生サッカーのコーチ、海外ボランティア、それに100㎞を走破するウルトラマラソンなど、いろいろアクティブな活動にもチャレンジしました」
「周りの多くは博士課程へ進学、あるいはメーカーなどに就職して、専門の研究を続ける道を選びました。先輩がメーカーに進んだ縁で、商談が成立したこともあるんですよ。いまも当時の友人と話をすると、みんな楽しそうにやっているなと感じます。自分も順当に行けばそうした道を選んだのでしょうが、営業という選択肢へ進んだ自分もけっこう面白く充実した仕事ができています。営業、商社という選択肢をじっくり考えてみたからこそ、本当に自分に向いている仕事が選べたと思います。就職活動中のみなさんも営業、商社といった世界にちょっとでも惹かれる部分があれば、一つの選択肢として持っておくことは大切だと思います。アカデミックに進むにせよ、メーカーに就職するにせよ、いろんな業界、選択肢について知っておくことは決して無駄にはならないはずです」
取材:2020年9月