商社の仕事人(79)その2

2021年02月20日

稲畑産業 本多貴裕

 

理工系大学院卒の商社パーソンが

中国の農業を変える

 

 

超大口の顧客を相手に入社1年目から悪戦苦闘の日々

「価格見直しに関する弊社からの具体的な要望は、今朝のメールでお伝えした通りです。それでは今日の夕方までに新たな価格をご提案いただけますよう、お待ちしていますよ」

「納品はいつなの、早く決めてくれないとこちらの予定が立たないじゃない」

入社1年目の秋。初めて担当を持ったばかりの本多に対して、大口の顧客から容赦のない指示が飛ぶ。納入する部材に対して、価格見直し=コストダウンの要望が今日の今日で突きつけられるのだ。

「部材メーカーとうちでそれぞれ社内各所の意思を確認するだけでも、1週間は余裕でかかるんじゃないか。それを今日中に答えを出せとは……」

顧客が相手にしているのは、あくまで稲畑産業という企業。その担当が新人だからといって、手心を加える理由はどこにもない。商材に対する知識もまだおぼつかない本多に対して、ベテランの先輩でもハンドリングに細心の注意を要する要求が毎日のように浴びせられた―。

本多は2014年入社。10日間の新入社員研修を終えて情報電子第二本部・第二営業部に配属されたのもつかの間、3か月後の7月から松本営業所(現・塩尻営業所)に派遣された。

松本営業所は、重要顧客である大手メーカーの工場に常時張りつく形で設けられた重要拠点だ。営業スタッフは上司、先輩、そして本多の3人だけ。そもそも1年目の新人がこの重要な拠点に配属されること自体、レアケースだという。本多はそこで2か月ほど先輩に同行して業務を見よう見まねで覚えた後、すぐにシビアなビジネスの世界に放り込まれた。

担当として任されたのは、顧客の工場にフィルム製品を納入するメーカー。製品は、家庭用プリンタのインクカートリッジに用いられる。万一品質に不具合があればインク漏れが生じて一般消費者に被害を与えかねず、顧客の企業イメージに直結する極めて重要な部材だ。それだけに品質の管理項目が多く、顧客のチェックは詳細を極める。

さらに本多が扱う部材は、稲畑産業がいったんメーカーから在庫を買い取りストックして供給する=VMI(ベンダー・マネージド・インベントリ:ベンダー管理在庫)方式で取引が行われていた。顧客のリクエストに応じて、常にオンタイムで対応するためだ。もちろん在庫は多すぎても少なすぎてもいけない。本多は顧客の需要予測に基づいて的確に発注を出し、効率的かつ安定的な供給を維持する業務に追われた。

顧客の生産計画が常に予定通りに進捗していれば、それに基づいた発注を出して在庫をストックしておけばいい。だが生産計画が常に変動するなかでいつでもすぐストックを出せるという状況を用意しておかなくてはならず、在庫・出荷管理はリアルタイムで目が離せない。そうした日々の業務に加えて、コストダウンを始めとする顧客からのシビアな要望―。何もかも初めて体験することばかりの本多にとって、自らの限界にチャレンジするような業務が毎日のように降りかかる。

だが上司、先輩はそんな本多を決して放任していたわけではなかった。毎日小さなオフィスで顔を合わせている3人は、いわば家族のようなもの。顔色や声の調子、あるいは電話での対応などから、自ずと仕事のはかどり具合も見えてくる。百戦錬磨の上司と先輩はあたかも本多を泳がせるようにして様子を伺いながら、そのキャパシティを常に推し量っていたのだ。

「毎日毎日、本当に大変でした。新人とはいえ、かなり重要な仕事を任されていることはわかっていましたから、それをこなすだけでも身を削られるようでした。でも、上司と先輩は自らの仕事をこなしながらも、いつも私の状況を確認してくれて、安心感はありました。ありがたかったですね」

 

一丸となって乗り越えた〝品質不良〟

そんな本多を一回り大きく成長させた「事件」が起きたのはその翌年、入社2年目の秋だった。発端は、最重要顧客の調達担当者からかかってきた一本の電話だ。

「本多さんが納品されたフィルムに品質不良が見つかりました。いますぐ工場へ来て、いったいどういうことか説明してください‼︎」

先輩、さらに上司もともなって、現場へ飛んで駆けつけた本多。その彼らに工場の技術者がフィルムの一部分を指差して見せた。無色透明なはずのシートに、正体不明の白いラインが入っている。そこから劣化などが生じて、インク漏れなど最悪の事態につながる可能性は否定できない。まだ息を切らしている3人は、血の気の引いた額から汗を拭った。

「ご承知の通りこのフィルムは、海外の生産拠点にも発送しています。すぐさま全ロットの品質を再チェックして、対応策を大至急報告してください‼︎」

白いラインが入っていない正常な在庫が底をつくのは、2週間後。新たに品質基準をクリアした製品を作り直して各生産拠点に届ける日数を逆算すると、解決には1週間の猶予しかない。それが間に合わなければインクカートリッジの生産ラインがストップし、担当の本多は億単位を超える損害を会社に負わせることになってしまう―。

本多が考え出した解決策は二つ。とにかくまずメーカーに正常な製品を作ってもらうこと、そして顧客の生産ラインのスケジュールを可能な限り伸ばしてもらうことだ。だがその足ですぐメーカーに駆け込んだものの、原因究明はお手上げの状態だった。メーカー側担当者は困惑し切った表情で言う。

「どのロットにまで影響が及んでいるかは、すぐ調査して報告させます。でも本多さん、大変申し訳ありませんが、発生原因を特定するにはしばらく時間をいただかなくてはいけないようです」

顧客の調達担当者も、ともにトラブルを乗り越えるパートナーとして本多の判断には最大限理解を示してくれた。だが生産スケジュールのデッドラインを調整してもらっても、正常な製品が間に合わなくては意味がない。見通しの立たない状況に焦燥する本多に、先輩が助け舟を出してくれた。

「本多、使える在庫はまだある。海外各地にある顧客の生産拠点だ。そこでストックしているフィルムを回してもらえ。そうして少しでも時間を稼ぐんだ‼」

―そうか、そんな方法があるのか。

本多が販路をチェックしたところ、フィルムの在庫があるのはフィリピン、インドネシア、そしてアメリカの3か所と判明。本多はすぐ稲畑産業の現地拠点に電話し、協力を仰ぐ。顧客にも頭を下げて理解を求め、在庫の確保を進めていった。

一方メーカーでは、原因を絞り込みながらの手探りの試作が続く。本多もメーカーの担当者も製造現場近くのホテルに泊まり込み、土日返上で朝から検証に立ち会った。夜には顧客の担当者も交え、原因の特定を巡って遅くまで激しい議論を戦わせる。さらに数日、ひりひりした時間が過ぎた。

やがて、通常より品質保証のレベルを上げながら慎重な生産を重ねるうち、ようやく白いラインが見えなくなったという報告が入る。本多もメーカーの工場へ駆けつけ、自らの目でフィルムをチェックした。

「どうですか本多さん。100%の原因究明にはまだまだ至りませんが、特定の原料のロットを入れ替えることで解決することは確認できました」

疲れた様子ながら、ひとまず安堵した表情で報告するメーカーの現場担当者。本多も曇りのない無色透明のフィルムを手に、大きくうなずいた。

「ありがとうございます、お疲れ様でした。早速これで納品の手はずを整えます!」

これがまだ社会人になって間もない彼にとって、得難い経験となった。関係者がみなが一丸となって問題をクリアすることができた。トラブルにあっても本多がベストを尽くしたことで、先輩、上司、仕入先、そして顧客の調達担当者まで、かえって信頼関係をあつくする結果となった。

「いまから思うといい経験ですが、もう二度とやりたくはありません(笑)」と笑って振り返る本多。だが3年間を過ごした松本での体験は、彼にとって大きなステップアップとなった。入社後の懇親会で先輩社員が語った〝個人商店主〟というのは、信頼関係がなければ成り立たない。本多は深い意味を少しわかったように思えた。

2016年7月、東京に空きポジションができたことで本社に呼び戻され、本多は松本を後にする。その最後の夜、本多は上司と行きつけの串揚げ屋で盃を交わした。

「この3年間、何が一番キツかったかわかるか。お前の教育だよ(笑)」

笑いながら本多との日々を振り返る上司。だが続いて口にした何気ない一言が、本多の記憶に深く刻み込まれた。

「最重要顧客を任された松本営業所は、誰にでも務まるわけじゃない。またもう一度松本に戻ってきて、一緒に仕事ができたら最高だな」

そんな笑顔に送り出された本多は東京に移ってほどなく、全く新しいフィールドに飛び込むことになる。それが中国での農業ビジネスだ。

⇒〈その3〉へ続く

 


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