商社の仕事人(83)その1

2021年03月3日

帝人フロンティア 大中原照吾

 

世界有数の自然災害大国・

ニッポンの人命を守る

 

 

【略歴】
大中原照吾(おおなかはら・しょうご)
1991年、大阪府生まれ。関西大学経済学部卒。

 

熊本地震とかるかべ

2016年4月14日午後9時26分、九州の熊本県と大分県を震度7の大地震が襲った。翌朝、被害の映像が全メディアから流されていた。熊本城が崩落した無残な姿は、多くの国民に衝撃を与えた。東日本大震災の惨状を想起した人たちも多くいただろう。

大中原照吾が同僚たちと昼食を取りながら、何気なく見たテレビから流れてきたのは、昨夜の被害ニュース。壮絶な被害の映像が流れ続けている。

「熊本城まで、被害を受けるとはなあ」「俺の知り合いは自宅がダメで、すぐ避難所に移ったよ」

同僚たちの世間話を聞き流しながら、あるシーンに大中原の目が釘付けになった。何かを思いついたように、スッと立ち上がる。

「すまん、用事を思い出した。飯代払っといてくれ‼」

そう言うと、駆け足で会社に向かった。

「おい、照吾、どうしたんだ」。同僚たちの掛け声もどんどん遠くなっていく。

デスクに着くと、大中原はすぐに電話をかけ始めた。

「昨日の熊本地震ですが、あのガラスの割れ方見ましたか。落ちた時にあんな割れ方したら本当に危ないですよね。二次災害ですよ。うちの『かるかべ』を取りつけてくれていればって瞬間思いましたよ‼︎」

真剣な表情で、電話口に訴えかける大中原。しかし彼が話す「かるかべ」とはいったい何だ。

 

人生の絶頂

「それで君はどないしたん?」

「どないもなにも、すぐに逃げましたよ‼」

「あほやなあ」

「わっはっは」「何それ‼」

その日、関西大学にあるビッグホールは、笑いと歓声に包まれていた。学園祭のメインイベント・お笑いグランプリの最終選考が行われていたのだ。舞台には100キロを超える双子と不釣り合いな1人という3人組が、舞台狭しと爆笑の漫才を繰り広げていた。会場は沸きに沸いている。審査員席には吉本興業の関係者も座っていた。元々関西大学は、桂三枝、山里亮太、ゆりやんレトリィバァ、そして2020年の〝キングオブコント〟優勝者のジャルジャルなど、錚々たるエンターテイナーを多く輩出していた名門だ。

——いよいよ結果発表。舞台に登場した審査委員長が、マイクの前でおもむろに用紙を拡げた。緊張の一瞬だ。

「優勝は、〝あちこちの怪物〟です‼」

客席にいた3人がすっくと立ち上がり、1000人を超える観客に向かって右手を振りあげた。鳴りやまぬ歓声と拍手。大柄な双子のそばにいたこの人物こそ、大学時代の大中原である。

大学時代の大中原は栄光に満ちていた。入学時に始めた居酒屋のアルバイトはオープニングスタッフから3年以上勤め上げた。その実力が認められ、店舗の売上管理、スタッフ教育、集客率や原価率の改善等も任されていた。

また、大学4年で始めた新聞勧誘のアルバイトでは、月に40万円を稼ぐほど活躍し、販売店からも一目置かれていた。その間を縫って、オーストラリアへの語学研修、四国一周自転車の旅など、思うがままに学生生活を謳歌していた。

就職活動も絶好調だった。2年時に受けた繊維商社のインターンシップで出会った商社パーソンに自らの未来像を重ねた。

「かっこよかったですね。自分が扱う商材に絶大な自信を持っていて、国内はもちろんのこと海外までも出かけて行く。数字は自分で稼ぐものだ。そんな姿にあこがれました」

金融、メーカー、IT企業など多くの内定を得ながらも、大中原が選択したのは帝人フロンティアだった。それは、文系でありながらもモノづくりに大きな魅力を感じていたこと。また自分が扱う商材を、多くの人たちと一緒に開発したいという野望を抱いていたからだ。「商工融合」を謳う帝人フロンティアは、そんな大中原の夢を実現させてくれる可能性を一番感じさせた。自分を信じ、大志を抱いて、帝人フロンティアに入社した。

⇒〈その2〉へ続く

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験