帝人フロンティア 大中原照吾
世界有数の自然災害大国・
ニッポンの人命を守る
挫折と復活への道
しかしその数か月後、学生時代あれほど輝いていた大中原の姿は、なかった。大中原が配属されたのはインテリア部。学校や店舗のカーテンなどを扱う花形部署だ。繊維という商材からはファッションを連想するが、それは帝人フロンティアの一部分にすぎない。カーテン、テント、自動車のシートなど、繊維にまつわるあらゆる商材を開発し、販売しているのだ。大中原は、そんな繊維の多様性、将来性にも魅力を感じていた。だからインテリア部で扱う商材には何の不満もなかったし、むしろその可能性に大きな夢を描いていた。
しかし入社直後の大中原の仕事は、上司と販売代理店を回ることが主だった。すでに取引のあるところを周回し、仕事の自由度は低い。すでに商流は確立しており、大中原が求めていた何か新しいことをするような雰囲気はなかった。「新人の大中原です」と言って名刺交換を繰り返し、納期調整、在庫管理等の生産管理が主な業務だった。インテリア資材の帝人フロンティアの取扱量は多い。販売代理店との関係は極めて重要だ。新人としては当然の仕事である。しかも帝人フロンティアはこの業界では大きなシェアを長年保っていて、この関係は、ビジネスの生命線でもあったのだ。それはわかっていても、大中原は、もっと新しい仕事がしたいと思うようになってきていた。
アイデアマンらしく繊維ビジネスの未来を色々夢想するうちに、日常業務に綻びが出始めた。報告書に単純なミスが目立ち、上司から叱責されるシーンも増えていった。1年後OJTの報告書には、真っ赤になった最悪の評価が下された。それもむべなるかな。
大中原は、ある決断をした。
「異動願いを出したんです。新人では前代未聞でしょう。でも辞めるという選択肢は一切なかったです。自分のことを信じていたし、ボクはまだこの会社でやりたいことをやっていないという思いが強かったですから」
しかしこんな〝問題社員〟を引き取る部署があるのだろうか。
結果、たった1年で大中原は、花形のインテリア資材部を去り、繊維資材部に移った。ここで彼の上司になった課長や同僚の協力によって、大中原は、その商才を少しずつ開花させていくことになる。
「かるかべ」との出会い
繊維資材部に移った時、大中原は課長にこう言われた。
「お前の評判は聞いた。俺はそれを自分の目で確かめたいと思っている。ミスは誰でもある。それを素直に反省して、改善すればいい。思ったことはどんどんやって、たくさん失敗して学べばいい」
この一言に、大中原ははっとさせられた。妙に縮こまっていた自分を思い返す。大舞台で喝采を浴びた自分、居酒屋のオープニングスタッフとして采配をふるっていた自分、あれが本当の自分なのではないか。
幸い行動を共にしていた先輩は、そんな大中原の性格を見抜き、彼のやる気を促すアドバイスをしてくれた。大中原もそれに応えようと必死だった。仕事の面白みも感じるようになっていった。
そんな順調な期間を過ごして一年後、予期せぬことが起こった。パートナーだったその先輩が会社を辞めてしまったのだ。周りはわかっていたらしいが、大中原には知らされていなかった。先輩の担当をそのまま大中原が引き継ぐことになる。持ち前の明るさで販売代理店や仕入先と接する大中原だが、当初老舗の販売代理店からは「なぜウチの担当が、こんな新人なんだ、舐めているのか」「テントの知識もない奴が何しに来るんだ」という辛辣な声も聞こえてきていた。しかしそんな声もだんだん薄れていった。数字もついてきて、大中原はそれを自分の実力だと思っていた。当時課長が、そんな販売代理店の声に「できるかできないか、やってみないとわからないでしょう。力はあるから一緒にやっていってください」と頼み込んでいたことを知ったのは、だいぶ経ってからである。
持ち前の明るい性格が認められ、販売代理店との関係が良くなり出したその時、部署内の編成替えで、課長から「俺と一緒に、かるかべの販売に専念しろ」という指示が出た。「かるかべ」とは、帝人が開発した不燃シート製の防煙たれ壁ユニットのことである。これは建築基準法で定められた防煙壁の一種で、通常はガラス製が主流であったが、帝人は、不燃シート製の商品を開発していたのだ。元々防災用のシートは販売していたが、全く普及していなかった。かるかべは従来のガラス製とは違い、軽量で破損しにくいシート製のため、震災後のリスクを防ぐ画期的な商品だ。こういう建材は、すでに大手メーカーでは扱っていた。しかし彼らは施工からすべてを一括でこなしてしまうため、地方の施工業者、代理店にとってはあまりいい商売ではなかった。帝人フロンティアは、建材だけ提供して、地方の施工業者や代理店にも十分な利益が行くようにと考えたのだ。
大中原にとっては、繊維から建材への大きな転換であった。
しかし販売ルートは確立されていなかった。まさにこれからの商品だったのだ。大中原がどれほど期待されていたのかはわからない。しかし型破りな彼ならば、何か突破口を開くのではないかと考えて、任せたのかもしれない。
⇒〈その3〉へ続く