商社の仕事人(83)その3

2021年03月5日

帝人フロンティア 大中原照吾

 

世界有数の自然災害大国・

ニッポンの人命を守る

 

 

勉強、勉強、また勉強

帝人フロンティアには、従来の繊維商品を売りさばく販売ルートは十分に確立されていた。悪く言えば、メーカーから品物を販売代理店に流すだけで数字は稼げていたのだ。しかし、かるかべは今まで全く取引のなかった建築業者、ゼネコン、内装施工業者に販売しなければならない。テントやカーテンを販売するルートとは全く違うのだ。

「従来の仕事の回し方もやっとわかってきて、これからと思っていました。でも、かるかべのことを聞いた時、これこそが俺のやるべき仕事じゃないのかなあ、と感じました。一人で取り組むというのも責任の重さを感じましたし、課長の期待に応えたいという思いも強かったですね」

翌日から大中原は動き始めた。電話帳を片手に、全国の業者に電話攻勢をかけたのだ。一日100件、200件と電話をかけ続けた。感触があれば、北海道だろうが沖縄だろうが出かけて行く。しかしほとんどの業者が自分より年長者で、当然のことながら、建築現場のことを熟知している。商品の良さを知りながら伝えきれない自分がもどかしかった。人と話すことは得意だった大中原だったが、伝え方の本、時間を考える本、あるいは経営者たちのプレゼンテーションのDVDなどを購入して、自分のコミュニケーション力を高める努力を繰り返した。わからないことがあると社内の建築士に話を聞きに行き、業者の疑問に答えた。自らも建築基準法などの建築知識を勉強した。かるかべの優位性、有効性は徐々に大中原の体の中に染み込んでいった。これを普及させたいという想いは益々強くなっていったのだ。

建築関係のセミナーや展示会にも出展し、かるかべを宣伝・説明する。しかし、「別途確認して連絡します」「別途確認します」「ご連絡します」の3連発に場内からは失笑が漏れることが続いた。下を向いてこの屈辱に耐えた。しかし大中原はめげなかった。そこで配るパンフレットのデザイン企画、商品ホームページの開設など、自らも積極的にかかわることによって、広く深く吸収していった。数か月後、商品の説明会で自信を持ってレクチャーする姿が目に付くようになっていった。

関西大学でのお笑いグランプリ優勝は、観客たちにとっては3分間の演技の評価かもしれないが、大中原たちは、その半年以上前から、地元の駅前で観衆を前に実演を繰り返していたのだ。観衆の反応を見ながら都度反省と改良を繰り返した結果が優勝だった。居酒屋での功績も、3年間授業の後、閉店まで働き、スタッフの信頼を得て終電後ヒッチハイクで自宅に帰っていたという体験が実ったものだった。しかし、何よりも大中原は、目立ちたがり屋で人を喜ばすのが大好きだった。かるかべは、きっと人を幸せにすることができる、「かるかべのお陰で助かった」「日本の町を安全に」そんな使命感に溢れ、建築の勉強をすることも、未知の世界の住人たちと交流することも、全く苦ではなかった。

 

かるかべの普及

そんな時に起きた、熊本地震だった。防煙壁がガラスだと、その破片が地面一面に散らばり危ないことは一目瞭然だった。地震を他人事と捉えていた内装施工業者たちは、大中原からの電話で、我に返ったようだった。「本当にそうだね。大中原さんの言うとおりだ。最近は地震が結構多いから、建物全体の構造、素材を見直した方がいいね。行政もそう考えているみたいだよ」そんな声が、大中原が訪問した業者から多く寄せられた。

大中原は、そんな業者たちを前にしてこう切り出した。

「かるかべを広める仲間になってもらえませんか」

使ってもらえませんか、買ってもらえませんかという言葉は誰にでも言える。しかし、大中原の考えは違う。自然災害の多い日本にとっては、その準備は欠かせない。特に近年は、「観測史上最大の―」という自然現象が頻発している。

かるかべの普及は、そこに住んでいる人たちの生命・被害を防ぐためには必然なのだ。

建物の建築、建て替えにかかわる時、その地元の施工業者・代理店の啓蒙と協力は欠かせない。メーカーも販売代理店も、業者も、ユーザーもすべてがウィン・ウィンになる。それが大中原の信念だ。

この想いと行動力によって、大中原はガラス業者、建材関連企業への働きかけを強め、拡大販売に成功した。結果、帝人フロンティアの36期「3C-Action目標」という賞を受賞した。そこには、大中原のこんなコメントが載っている。

「固定観念を捨て、常に物事をよりよくするためにはどうすべきか考えています」

賞金で、課長と夜の梅田に繰り出したという。1年目でダメ社員のレッテルを貼られた人物が、数年で頭角を現した。これが商社業界の面白いところでもある。しかし、彼を支えた上司、同僚、家族がいたことも事実なのである。それを一番よくわかっているのも大中原自身だ。

「国内では、すでにかるかべが流通するシステムはできたと思います。自然災害は今や地球規模のテーマですから、今後は特に中国や東南アジアなど、日本と同じような災害に苦しむ地域でかるかべを普及していきたいですね」

大中原は、こう力強く今後の抱負を語ってくれた。

 

大中原照吾(おおなかはら・しょうご)

1991年、大阪府生まれ。関西大学経済学部卒。在学中は、居酒屋のアルバイトを3年以上続け、オープニングスタッフから勤め上げた。オーストラリアのバックパック旅行や四国一周自転車旅行など、積極的な活動で、学生時代を謳歌した。

「人が生活する上で、食物と同じくらい繊維の存在は欠かせません。ファッションで夢を与えてくれますが、生きる上での安全・安心にもかかわります。そんな繊維ビジネスの将来性を考えて、帝人フロンティアに決めました。就活はかなり力を入れました。大学二年から参加したインターンシップ、会社説明会での名刺配り、他大学でのセミナー参加など、できるだけ多くの業界を見て、多くの人と会うことを心がけました。納得して就職することが大事です。元々人と接するのは好きだったので、就活は楽しかったですね。やはり、業界、企業によって雰囲気は全く違います。この直感はかなり大事で、相性の悪そうなところは、やはり外していった方がいいかもしれません。満を持して入社を決めた会社でしたが、やはり思い通りには行かないことも多々ありました。でも多くの人たちに支えられてやっと方向性が見えてきた気がします」

 

取材:2020年9月

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験