第一実業 岩木省吾
1基数十億のプラント機器販売で
世界を駆け巡る
涙の日本橋
新人の頃は辛酸を舐めたことも少なからずある。中でも忘れられないのが入社1年目の商談だ。化学会社からプラント機器の受注を獲得しようとあの手この手で営業をかけたが担当者はなかなか首を縦に振らない。もう最後は意地の張り合いになった。別のメーカーに決まっているから絶対に第一実業には発注しないと言う担当者に、いや、お願いですからうちにください、─押し問答は延々続いた。
「あのときは冷静じゃなかったですね。お互い半分泣きながらみたいな(笑)。今から思うと数百万円の機器だから大きな金額じゃないんですが、意地になると引けなくなっちゃうんですよね。担当者も冷静さを失っていましたが、こっちとしては熱くなって勢いで発注してくれるんなら、どうぞどんどん熱くなってください、いくところまでいきましょう、そういう気持ちでした。普通ではなかったと思います。
少しでも早く実績を作りたいというプレッシャーもありますが、機器メーカーさんにこれだけ頑張って価格を下げてもらった以上は、絶対に注文を取りたいという思いが強かったからです。メーカーへの責任と自分への責任というか。まだ全部やりきってないのに受注できないって許せない。そこだったと思います」
だがどんなに粘っても結局結果は覆らなかった。真夜中、化学会社を出て駅まで歩く途中、雨が降ってきた。しかし岩木の頬を濡らすのは雨ばかりではなかった。
「あのときのことは今でもはっきりと覚えてますね。忘れもしない日本橋ですよ。雨が降ってきてね……帰り道、悔しくて悔しくて涙が溢れてきました。もうこれ以上やれることはないというところまで全部やって負けるとショックもデカいし、心が挫けるんですよね」
しかしそのたびに岩木は立ち上がってきた。立ち上がる原動力は〝リベンジ〟だ。
「やっぱり涙を流すくらいの悔しい思いって、別のことでは返せない。同じお客さんから受注を取ることでしか借りは返せない。負けた相手に次は必ず勝つぞという思い。凹んでも立ち直るエネルギーはそれしかないですね」
しばらくして、そのとことんまでやりあって負けた化学会社の担当者から新規の案件についての連絡があった。今度は受注に成功し、見事リベンジを果たした。
その後、岩木は商談を次々とモノにしていった。俺って結構できるヤツなんじゃないか。自信を大きくしていったが、すぐにそれが単なる幻想に過ぎないと身を持って知ることになる。
⇒〈その3〉へ続く