長瀬産業 廣田孝介
各国現地法人との協業で
新たな価値を生み出す
【略歴】
廣田孝介(ひろた・こうすけ)
1979年大阪府生まれ。早稲田大学法学部卒。2004年入社。
入社3年目を前に突然の辞令
「廣田、ベトナムに行ってもらうことが決まったよ」
長瀬産業に入社して丸2年が経とうとしていた頃、廣田は上司に呼ばれ、こう告げられたという。
「それは、辞令が出る2週間ほど前のことでした。そして、正式な辞令が出て、およそひと月ほどで私はベトナムはハノイの駐在員事務所に配属されたんです。〝いよいよ来た!〟というワクワクした気持ちと一緒に、〝本当に、私でいいのか!?〟という、戸惑いがあったことを覚えていますね」
間もなく入社3年目を迎えようとしている若手社員に、海外駐在員の役割を与える。重すぎる責任がのしかかることは確かだ。加えて、当時の廣田は、2年の間で一度も海外出張を経験していなかった。プラスチックの原料となる合成樹脂を扱う事業部で、海外製品を日本に持ってきて売る仕事に就いていたが、先輩社員がすでに道筋を作り上げていたため、ルーティン的な業務が主だった。何もない、ゼロから何かを作りあげるような性質は、薄い仕事だったという。
「もともと、海外とのビジネスをしてみたいという思いから商社を就職先に決めたので、嬉しい気持ちはありました。実は、大手の出版社に入社するという道を選ぶこともできたんです。学生時代にそこで4年間アルバイトをしていて、就職情報誌の編集に携わっていたため、そのまま正社員になるという選択肢が用意されていました。しかし、漠然としたものですが海外への憧れがあって、やはり出版社よりもダイナミックなビジネスができる商社を選択しました。中でも、長瀬の扱う商材や社員のカラーに惹かれて、働きたいと思った。だから、ベトナム行きは願ってもないチャンスでしたね」
長瀬産業としても、異例の人事だったという。いったいなぜ、若い廣田に白羽の矢が立ったのか。廣田の所属する部署では海外移管が急速に進み、入社して間もない社員たちが経験を積む場が、日本には少なくなっていたのだ。かつてはビジネスのいろはを日本で学び、ある程度の知識を得てから海外へ飛び出すのが普通だったが、今では国内にいるだけでなく、若いうちから海外に出して経験を積ませる方針を部署がとっていたのである。
「つまり、若手社員も実際に海外の現場で経験を積み、知識を得ることで、成長を促すことが必要である。ならば、3年目の廣田を海外に送ってみようと。実験のような意味合いもあったのではないでしょうか。先輩社員にも、もちろん同期にも、〝もう駐在員に!?〟と驚かれましたし(笑)」
こうして、26歳の廣田は、駐在員としてハノイの地に降り立つことになったのである。
⇒〈その2〉へ続く