商社の仕事人(49)その2

2018年03月13日

豊島 池田剛士

 

繊維コンサルタントとしての

実績を積み上げる

 

 

2,000万円のトラブルが発生

S社の求めるデザイン、そして生地などの依頼を受け、確実な商品を作り出して提供する。商社の営業マンとしての本格的な仕事に意欲的に取り組んでいた頃、池田は痛恨のミスを犯してしまう。展示会が行われ、次の秋冬用のオーダーが一気に3億円入ってきた。ところが蓋を開けてみると、何と2,000万円も値段が合わなくなっている。

「単純に、計算を間違えたなどの理由ではありません。展示会のタイミングとオーダーのタイミングには1か月ほどのタイムラグがあり、その時々の為替や当時お願いしていた中国の工場での人件費の変動など、様々な要因のズレが重なっていたのです。私がもっとこまめに確認作業を行っていれば防げたトラブルでした。当然、S社の社長は激怒されます。その一方、中国の工場では〝金額が合わないのだからこれしかできません〟と突っぱねてくる。いったい、どう対処すればいいのか。〝途方に暮れる〟とは、まさにあのことだったと思います」

中国の工場から納期を伝えられれば、何も考えずにS社に伝えてしまい、「そんな納期で間に合うか!きちんと交渉してきなさい!」と社長に怒鳴られ、再び中国へ。まるで伝書鳩状態だったと池田は振り返る。

「自分のやるべきことをきちんとコントロールできない不甲斐なさ、そしていい年をして怒鳴られるという状況に、正直言って凹んだこともありました。しかし、できることを確実に、1つひとつやっていくしかない。まずは、とにかくS社に顔を出すことを決めました。先輩社員は1人で4社も5社も受け持って数字を出していますが、当時の私はS社1社のみの担当。先輩が1社につき1週間に1回顔を出しているなら、私はS社に毎日通えるはずです。用件など無くても、とにかく〝何かご用件があれば仰ってください〟と、1年間ほぼ毎日S社に通い続けました」

9年目のベテランから新人の池田に担当が変われば、お客様の不安は大きかったに違いない。しかし、器用に仕事ができない分、池田はフェイス・トゥ・フェイスで丁寧な仕事をすることを心がけた。

S社の社長は、人生の大先輩である60代の男性だった。彼に鍛えられ、そして学び、池田は少しずつ成長していった。

「がむしゃらに仕事に挑み、ミスをして怒鳴られるような私でしたが、それでも見捨てずにいてくれた社長は、徐々に新しい依頼をしてくれるようになりました。そのことでS社の売上げも増加でき、私自身も仕事の仕方が身につき、自信も湧いてきた。S社の社長は、仕事の世界での育ての親とも言える存在でした。一緒にゴルフにも出かけたり、私の結婚式にも来ていただいたり。仕事上だけでは無い関係を、立場も世代も違う人と築けたことは、私にとっての大きな財産です」

⇒〈その3〉へ続く

 


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