豊島 池田剛士
繊維コンサルタントとしての
実績を積み上げる
自分にしかできない仕事を求めて
メンズファッションの世界で仕事のやりがいを感じ続けた池田は、2006年からレディースも手がけることとなる。それは、商社マンとしての成長の証でもあった。
「先輩から引き継いだメンズの仕事を、私は確かに拡大できていました。2年で8億円になっていたと思います。しかし、〝私でなくてもできる仕事かも知れない〟と感じるようにもなっていました。もっといい仕事をするためにも、レディースという新しい分野で、しかも小売向けの製品提案に取り組んでみたいと思い始めたんです」
そこで池田は、豊島との取り引きのない企業を探し始めた。取り引きがない、つまり誰も挑戦していない企業とのビジネスで豊島に新たな利益をもたらす。それこそが、フロンティア精神を持った理想の商社マン像だった。
池田はまず、ショップ巡りから始めた。幅広い繊維ビジネスを展開する豊島は、膨大な数のアパレル企業と取り引きがある。魅力的なショップを見つけても、調べてみればすでに豊島との取り引きがあり、新規開拓の難しさを痛感する日々だったという。
「とにかく足を使って地道に動いているうちに、〝売れそう〟な雰囲気を持つセレクトショップと出会いました。活気があり、将来性がある感じがした。直感を信じて調べたところ、何と豊島との取り引きもなかった。運命の出会いと確信しましたね(笑)」
大阪を中心に展開するU社に狙いを定めた池田は、上司に対して希望を述べた。レディースだが新規の顧客にしたい企業がある。メンズよりも商権は大きいので、新しいデザイナーを雇って営業をしたい。
池田が入社3年目のことだ。
「上司は、〝やってみろ〟と言ってくれました。メンズ製品での数字を出していたとはいえ、考えてみれば入社3年目でまったく分野の違う仕事の提案をして、それが通るというのはすごい話。またここでも、〝豊島って、いい会社だ〟と改めて感じました。もちろん、〝新しく何かやりたい!〟などと子どものような要求をしたのでは、上司もOKをくれなかったでしょう。しかし、具体的に提案ができれば、豊島にはやらせてくる風土があるんですね。まさに就職活動の際に会社選びの条件として掲げていた、〝何でもやらせてくれる会社〟でした」
とはいえ、取り引きがない企業相手に営業をかけるのだから、窓口や担当者すら分からない。そこで池田は、真正面からぶつかった。「担当の方にお話しを聞いて欲しいのですが」。東京から大阪にあるU社に通う日々が始まった。
「最初は誰に何を話したのか、それで結果はどうなのか、何も手応えがないまま終わった感じでした。それでも、メンズのS社の時のようにまず訪ねて顔を見せることを続けるうちに、ブランド統括部長の方にお会いすることができました。80億円ほどの売上を出している方だったので私のような営業の訪問が1日に何件もあるんです。食い込むのはなかなか難しいかとも思いましたが、幸い先方が豊島の名前を知ってくれていて、そんな小さな突破口を自力でこじあけ何とか取り引き開始にこぎつけることができました。なぜ私に目を止めてくれたのか正直分かりません。相性が良かったんでしょうか(笑)」
⇒〈その4〉へ続く