商社の仕事人(55)その1

2018年05月14日

岩谷産業 村尾研吾

 

広い視野で果敢に

日本のエネルギービジネスに

挑戦する

 

【略歴】
村尾研吾(むらお・けんご)
1974年兵庫県生まれ。立命館大学経済学部卒業。1998年4月、岩谷産業入社。

 

震災で目の当たりにした「分散型エネルギー」の重要性

2011年3月11日、午後2時46分。

東日本大震災の発生時、岩谷産業総合エネルギー本部・マルヰガス部(当時)の村尾研吾は出張で鹿児島にいた。第一報は泣きそうな声で東京の様子を伝える妻からの電話。部の社員たちが電話連絡に追われるなか、村尾は空港へ駆けつける。羽田行きの便もあったが、モノレールなど都心への交通は運休。ひとまず大阪へ飛び、翌朝に運転を再開した新幹線に飛び乗って東京へ戻った。

早速被災した関東の顧客十数カ所を回った村尾。彼がそこで目にしたのは、LPガスの災害に対する強さだった。

「聞きしに勝るとはこのことか…。街がこれだけ破壊されてしまったのに、ガス設備はほぼ無傷で済んだとは、本当に驚きでした」

被災した関東の顧客十数か所をはじめ、村尾が見た限りでは他社も含めたLPガス、天然ガス設備にはほとんど被害が無いようだった。なかには街を根こそぎ破壊した津波に耐えた設備もあった。そしてLPガス、天然ガスは共に当日からタンクローリーでの供給が再開した。

インフラ復旧に2〜3か月を要した都市ガスと異なり、陸路で各拠点に供給できるLPガス、天然ガスは災害に強い。これは阪神・淡路大震災でも証明されており、同社の強みとなっていた。

このように複数の拠点から自家発電用などのエネルギーを配送する仕組みを、分散型エネルギーと呼ぶ。大規模な発電所から一斉に送電する仕組みと異なり、ひとつの拠点がだめになってもほかで補完できる。阪神・淡路大震災以来アピールポイントのひとつとしてきた部分だが、村尾自身もその強みをまざまざと眼前にする思いだった。

もちろん道路インフラの麻痺、軽油不足など、供給の苦労は尽きなかった。それでも幸いさほどの支障にもならず、次々と被災地へガスを供給することができた。むしろ顧客側の工場設備の被災などで、ガスを供給しても使えないジレンマのほうが大きかった。

村尾は、エネルギーを扱っている重要性と責任を、改めて噛みしめた。

⇒〈その2〉へ続く

 


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