商社の仕事人(55)その3

2018年05月16日

岩谷産業 村尾研吾

 

広い視野で果敢に

日本のエネルギービジネスに

挑戦する

 

リーダーとして効率化、ルール化を推進した中国事業

地道で根気強く営業に徹した2年間を経て、村尾は大阪の産業エネルギー部に配属される。それまでは家族経営の卸業者相手など、いわば泥臭い人付き合いの世界が中心。だが産業エネルギー部は全く違う世界だった。

「一般企業を相手に、LPガスを中心として、ガス発電機や廃熱利用の空調システムなどを、総合的に提案するのが主な仕事でした。相手は技術の専門家ですし、コスト低減のメリットもしっかり計算して資料にまとめた上でアピールしなくてはいけません。ガスを売るという部分は同じなのですが、全く別の会社に転職した気になるほど仕事の内容が一変しました」

新たな環境でよりスケールの大きな仕事を手がけるようになって3年、所属部署から提案する形で新しいビジネスを立ち上げることになる。それが中国で発電機を販売するプロジェクトだ。

「中国では国策もあり、ガスを売るビジネスは成り立ちにくいんです。そこで中国へ進出した日本のメーカーに対して、非常用の発電設備を提案しました」

日本と異なり発電・送電インフラの整備が遅れていた当時の中国では、日系メーカーが突然の停電によく悩まされていた。生産の途中で停電すると、当然ながら製品の品質に問題が生じかねない。産業エネルギー部のプロジェクトは、そうしたリスクへの対処が商機になるのではという目論見があったわけだ。海外での初のプロジェクト、村尾の胸は高鳴った。立ち上げの翌年から、リーダーとしてプロジェクトを任されるようになる。だがビジネスとしてまとめ上げるまでの道のりは大変な苦悩の連続だった。

「当初は全くの手探りでのスタート。思い出すだけで吐きそうになるほどトラブルだらけでした。当社の現地法人にも手助けしてもらっていましたが、ビジネスのコントロールは全てこちらで担当していました。現地での工事まで全て手配して現地の業者に発注していたのですが、やはり日本とは商習慣や品質管理が違うんです」

日系メーカーと商談をまとめるところまでは比較的うまくいった。だが問題はその後だ。現地業者とのやり取りがうまく噛み合ないところから始まり、設計が間違っていて扉が開かないといったことも日常茶飯事。さらに日本では考えられないトラブルが大問題に発展することもあった。

日本で仕事に忙殺されていた村尾に、中国から電話がかかってきた。相手は怒りに声を震わせている。

「打ち合わせの予定だったのに、そちらから誰も来ていないとはどういうことだ!」

事情がわからず、村尾はまともな返答をすることができない。打ち合わせに現地業者を向かわせたところ、客先に姿を現さずアポイントをすっぽかしたのだ。

「道を間違えて間に合わなかったという理由で、先方はもう怒りを通り越したレベルでした。しかし現地業者に説明させればいいと甘く考えて日本から人を派遣しなかった私自身の失敗でもあり、深く反省しました」

こんなことは日常茶飯事、いったい何が原因でうまくいかないのか。村尾は工事体制、メンテナンスのフォローなど、一連の工程を整理して問題を徹底的に洗い出した。その結果、思い切って発電機のメーカーを切り替えることを発案した。

「現地で工事からメンテまで、提携会社のネットワークを持っている日系メーカーがあったんです。各提携会社も、責任者は全て日本人。そこならこちらでコントロールしていたことを一括で任せられるわけです」

顧客となる日系メーカーに対しても、ビジネスの各プロセスをひとつひとつルール化、マニュアル化していくことで自社の負担を軽減した。

「問題を整理するうちに、全てを日本側でコントロールするにはトラブル、リスクが多すぎてビジネスとして見合わないことが分かりました。こちらもそのプロジェクトだけに特化して営業しているわけではありませんでしたから、効率的なシステムを作る必要があったんです。当初は少なくても毎月現地へ行っていましたが、最終的には3か月に1度程度で済むようになりました。このビジネスモデルは自分でもよくできたと誇らしく思います」

⇒〈その4〉へ続く

 


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