岩谷産業 村尾研吾
広い視野で果敢に
日本のエネルギービジネスに
挑戦する
エネルギーひと筋で扱う案件を着々とスケールアップ
リーダーとして中国事業を仕切った1年半で、多くの発電設備を販売した。村尾はまとめ上げたプロジェクトを別の担当者に引き継ぎ、2006年に新たな部署へ移った。やはり同社の本流であるエネルギー部門、総合エネルギー本部・マルヰガス部だ。
「仕事は新入社員時代の延長のようなものです。ただし以前は町の卸業者さんが相手でしたが、今回はさらにひとつ上の大手広域ディーラーが相手。そうした企業の社長、役員など決裁者との交渉を任されました」
前任者は部長クラスの役職。若手の村尾にとっては抜擢といえる。民生用、産業用、さらに設備と、エネルギー部門の幅広い領域で着々と結果を出してきた経験と実績が評価された結果だ。
もっとも急に担当を若手に替えられた先方の反応は複雑だ。
「あなたで本当に大丈夫なの?」
「担当の役職を急に下げるなんて、うちを軽んじているのか?」
かつて部長クラスが担当していた仕事を突然任された村尾にとって、肩書不足が常に悩みとしてつきまとった。
「でも役職、肩書き不足の部分は、かえってそれをメリットにしていきました。つまり目上の方からかわいがっていただけるよう、お付き合いするといったことです。お酒の席やゴルフなど、接待にも足しげく通いました。そうやってシェア争いに食い込んで行ったんです」
こうして熱心に通い詰める村尾の姿を見て、先方の反応が自ずと変わってきた。スケールが大きな取引とはいえ、いわば泥臭い人付き合いが結果に作用する部分は意外に大きい。
「しょうがないなあ。XX社と条件が同じって言うんなら、今回は君を助けてあげるよ」
村尾の地道で根気強い説得は、少しずつ顧客の反応を変えていった。
とはいえ大手ディーラーとの商談は、こうした人間関係ひとつで乗り越えられるものでもない。例えば会社全体としての供給調整に対して顧客のニーズと折り合いをつける必要もある。また原価の変動を価格に反映させるタイミングや方法も各社それぞれ異なるため、顧客をつなぎ留めておくにはその調整や説得も必要だ。
「競争が激しいので、放っておくとすぐ他社に納入先を奪われかねません。大きなスケールで、よりデリケートな調整が求められる仕事でした。やっていることは一見地味ですが、扱う量が多いので、自分たちの部隊が数量を増やすか減らすかで岩谷産業のシェアに響いてくる。その意味で非常に責任の大きい仕事でした」
2011年4月、新たに東京の総合エネルギー本部本社営業室・天然ガス部へ転属。電力会社から調達した発電用の天然ガスを設備とともに、大手製造メーカーを中心に販売する部門だ。関西では十数年前から行ってきたビジネスだが、東京ではまだ数年。これまでの経験を買われ、世代刷新の即戦力として村尾が選ばれた格好だ。
「震災で分散型エネルギーの強みを改めて実感しました。代替エネルギーや災害時のリスクマネジメントなどの議論も高まっていますよね。当社だけの問題にとどまらず、社会全体がより多様なエネルギーのあり方に関心をもっていただければと感じています」
LPガスと異なり天然ガスは、従来以上に案件のスケールが大きくないと利益を出しにくい。村尾は震災の体験を踏まえ、いっそう広い視野で、今後の日本のエネルギービジネスを見つめ、挑戦していく。
学生へのメッセージ
「(当初は)大手食品メーカーを志望していたのですが、岩谷産業に入ったのは結局『人』でした。人事が親密に相手をしてくれただけでなく、社内ですれ違う時には必ず挨拶してくれるとか、よく声をかけてくれるとか、人間関係の基本的な部分ですね。結果的にそうした部分がきっちりできている会社は人材に恵まれ、社員教育もしっかりしている。つまり利益も上がっているんです。入社後は責任のある仕事を次々任されましたが、自分で考えて自分で切り開いていける。そこにやりがいを感じられる人、積極的にチャレンジしたいという人に向いている社風だと思います」
村尾 研吾(むらお・けんご)
1974年兵庫県生まれ。立命館大学経済学部卒業。1998年4月、岩谷産業入社。
『商社』2013年度版より転載。記事内容は2011年取材当時のもの。
写真:葛西龍