商社の仕事人(60)その3

2018年07月11日

長瀬産業 荒井慎吾

 

人との繋がりを武器に

最先端技術で世界を変える

 

 

人とのつながりの面白さを改めて実感

新しい部署で扱う電子資材は、長瀬産業の総売上高に占めるシェアも大きく、また取引先も日本屈指の大企業である。X社が製造する偏光板を、Y社に販売するため、その仲を取り持つのが荒井の役割であった。

ところが、規模が大きいばかりでなく、スピードも速いのが電子資材の業界である。そして、そこではまったくの〝新人〟である荒井にとって、両社顔を合わせての設計・開発会議で飛び交う言葉は、まるで聞いたこともない外国語のようであったそうだ。

「その業界で世界を牽引するような人たちを、私が上手く取りまとめていかなければならないわけですが、入社してから4年間で積み上げてきた放射線業界の知識はまったく役に立たず、私の頭の中は〝ゼロ〟の状態でした。ひとつの言葉が、システムなのか材料なのかも分からないような私が間に入るのですから、お客さんは大変だったと思います(笑)。私にとっては、お客さんとの会議が勉強の場でしたね。そこで疑問点をピックアップして、会社に戻って一から調べたり、先輩社員に聞いたり、直接お客さんに教えを請うたこともありました。格好つけてなどいられませんから、しつこく質問攻めにして。そんな私に、笑いながらもきちんと〝これはこういうことなんだよ〟と教えてくれる方ばかりで、ありがたかったですね」

荒井は四苦八苦しながらも議事録を取り、製造メーカーへフィードバックし、商材を作り上げ、納品していく。偏光板という重要な材料が滞れば、電子機器の完成は不可能である。そのハンドリングをするという役割は、非常にやりがいがあったという。

「現在の長瀬産業には、この2社に対して専門に当たる部署ができています。けれど、当時は電子資材事業部の中では、Y社は私ひとりが担当するくらいの売上しかなく、X社の営業部隊も小規模だったもので、商材のハンドリングは非常に難しい状態でした。また、X社の工場は四国にあり、Y社は関東にありました。何らかのトラブルが起き、Y社で〝物が足りない! 至急届けて欲しい!〟と要請されたとき、電話で四国のX社に指示を出したところで、簡単に物が動くような状況にもありません。2社とも規模が大きかったが故に、小回りが利く環境にはなかったんです。ですから私が即、四国に飛び、工場に直接依頼して、発送の手続きをしてY社に報告する、ということを、週に一度はやっていました。自分の通常業務を終えて深夜に四国に向かい、朝一番でX社と緊急会議を開いて、物を動かす、ということも頻繁にありました。正直なところ、忙しすぎてあの頃のことはよく覚えていないほどです(笑)」

荒井はこの時期、一度だけ辞表を書いたことがあるそうだ。偏光版の供給が間に合わず、X社との折り合いがなかなかつかなかった。このままでは、自社だけでなく取引先にも数十億円もの損失を出してしまう。責任を取るには、〝それ〟しかないと思ったのだという。

「お客さんへ安定した供給を続ける責任者は私です。だから、私の首と引き替えにでも物を動かさなければならないと思ったんです。トラブルが発生したのは休日でしたが、X社と膝を付け合せて話をしないといけないと考え、四国へと向かいました。必死の説得の末、X社の責任者も、〝君の気持ちは分かったから辞めるなんて言うな!〟と、物を動かしてくれたのです。本気で辞める覚悟をして、臨んでいましたのでX社のその言葉には心底驚かされました。またX社からは、Y社の動きやどの程度の量が足りないのかなど、もっと詳細なデータをくれれば物を動かすことが可能だったと言われ、自分の未熟さにも気づきました」

さらに、その場所には遅れて荒井の上司も駆けつけ、荒井をかばってくれたそうだ。結局はすべてが丸く収まり、最後には全員で食事に出かけたという。

「今では笑い話になっていますが、当時の私にとっては、〝長瀬産業に骨をうずめよう〟と思う出来事でした。商社パーソンとしての仕事の醍醐味、そして一緒に仕事を作っていく人たちとのつながりの面白さが、強烈に焼き付いた瞬間でもありました」

⇒〈その4〉へ続く

 


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