商社の仕事人(62)その3

2018年08月22日

豊島 松鐘幸生

 

がむしゃらの先にしか

見えないステージへ

 

 

7社12ブランドを担当する多忙な日々

 引き続き「B社」に加え、大手アパレルブランドの「C社」の担当や、ファッションビルなどを展開する小売業「M社」のプライベートブランドに携わるなど、精力的に仕事を増やしていった。

「私は、若いうちはどんな仕事にでも手を挙げて、失敗を恐れずにとにかくやってみる、経験を積むべきだというポリシーを持っていました。できるかどうかなど、やってみなければ分かりません。ですから、上司が〝こんな仕事があるんだが、誰かやってみないか〟と言えば、真っ先に手を挙げていたんです。おかげで私の担当は膨大な数になり、当時は7社12ブランドを回していました」

〝寝る間も惜しんで〟という言葉がピッタリ来るほど、仕事一色の日々だった。海外出張にも頻繁に出かけ、取り引きのあるブランドの担当者を引き連れて中国や韓国の工場の下見なども行い、現地で担当者を見送り、入れ替わりに別のブランドの担当者と合流するということもしばしばあった。1か月のうち、海外滞在が日本にいる日数を上回ることさえあった。フル回転で働くのは決して悪いことではないが、そんな〝力業〟で乗り切るような仕事が、継続できるはずもなかった。

「豊島の業務職担当の女性社員にもメチャクチャ怒られました(笑)。指示も出さず管理もせずに、仕事の量だけ増やしていたわけですからね。業績は上向きになり、人並みの数字も叩き出すことができましたが、それは良いときもあればガクッと落ちるときもある〝安定しない〟数字でした。先輩社員には、今のやり方は単年ベースなら大きな利益を生めるが、あと少し経験を積んだらもっと先を見据えた仕事の仕方ができるようになれと言われました。お客さんと今だけの利益を追うのではなく、2年、3年と先の展開も踏まえて話ができるようにならなければ、本当の信頼は得られないと。とても身に染みた言葉で、少しずつ仕事のやり方を修正していきました」

こうして3年後、巨大になった東京3部4課はふたつの部署へと分離され、松鐘も業務はそのままに、東京10部2課の所属となった。

⇒〈その4〉へ続く

 


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