商社の仕事人(62)その4

2018年08月23日

豊島 松鐘幸生

 

がむしゃらの先にしか

見えないステージへ

 

 

自分を育ててくれた土壌に恩返しがしたい

一回り成長した松鐘は、気持ちも新たに仕事に闘志を燃やした。後輩ができたことから、いくつかの仕事を任せ、自身はデザイナーと組んでの提案型業務にシフトしていった。

「課別独立採算制というシステムを取っている豊島では、個人個人でもひとつの企業の主たる責任を持って仕事を進めていきます。例えば、自分専属のデザイナーを持つ場合も、自分で面接し、給料も決めるんです。そして、自分の売上げが上がればデザイナーの給料も上げられますが、お客さんを失ったり売上げを落とすようなことがあれば、デザイナーにも給料が払えなくなる。サラリーマンの立場でありながら、雇用主としての責任も負うことになります。人を雇うという難しさをヒシヒシと感じました」

とはいえ、松鐘のことである。大手のアパレルやセレクトショップを相手に、大きな仕事を進めていった。利益を生み出してこそ、自分についてくれているデザイナーにも還元することができる。しかし、またもや〝暴走モード〟になってしまう。

「今現在は、3人のデザイナーを雇い、ひとり1〜2社を担当してもらっています。それが通常の体制なんです。ところが、当時はひとりのデザイナーに全社を任せていた。当然、オーバーワークになってしまいました。毎日2人で会社の鍵を閉めて帰っていたほどで、日をまたぐこともザラでした」

しかし、一見無茶なこの時期の仕事のやり方は、体験しておいて損ではなかったと言う。自分の限界を知り、何ができて何ができないかを理解するのは、若いうちがいい。それも、がむしゃらに仕事に向き合わなければ、永久に分からないことなのだ。

「こんな私ですが、怒りながらもデザイナーもお客さんも見捨てないでいてくれています。最近では、売上げを伸ばすことは大前提ですが、お客さん目線でビジネスを見られるようになりました。どうしたらその服が売れるか、消費者が目を向けてくれるかを最優先に考えています。ですから、お店の内装や出店計画に関しても関心を持ち、意見をすることもあります。豊島を辞めてコッチの社員にならないかと言われることもあります(笑)。それは冗談だと思いますが、何とかそのお客様を大きくしたい、と思うのは本当です。ただし、そんな提案をするためには、やっぱりブランドでシェア1位になる必要があるんです。私の売上げが下位にあったなら、いくら良い提案をしても説得力がありませんから。種を蒔き、収穫し、人間関係作りの先に次のステージでの仕事が待っている。〝新しい企画は松鐘に頼もう〟と言って貰える商社マンでいたいですね」

松鐘は、なぜここまでがむしゃらに仕事に取り組めるのか。その問いに、松鐘は「恩返し」と答えた。

「就職活動の頃から、豊島という会社は私をひとりの人間として接してくれました。大勢の学生のひとりではなく、対人間として真摯に向き合ってくれたんです。〝こういう大人たちがいる会社で働いてみたい〟と思いました。入社した後も、まだいくらでも換えがきく程度の新入社員に対し、仕事を任せてくれて、厳しくもいろいろなことを教えてくれました。例えば、〝会いたくないときほどお客さんに近づけ〟と教えてくれた上司がいます。トラブルは誰にでも起こる。そんなとき、電話やメールで済ませて逃げたくなりますが、逆に顔を合わせて向き合うことで、トラブルは人間関係構築のチャンスに代わります。何とか一人前の仕事ができる商社マンになれたのは、無茶なことばかりしてきた私をしっかりと影で支えてくれた上司があったからです。ですから、それに応えるには、稼いで還元して、会社を大きくしたい。それが、仕事に対する原動力ですね」

たとえ金額は高くても、松鐘から買いたい。たとえスケジュールがタイトでも、松鐘の頼みなら聞いてやる。そんな人間力を持った商社マンでありたいと語ってくれた。

 

学生へのメッセージ

「学生時代は麻雀しかやっていませんと正直に言っていましたが、まさかそこまでしてくれるとは思ってもみませんでした。就職活動に際しては、自分に嘘をつくべきではないと確信しています。内定を目指すのではなく、例えば恋人を見つけるのと同じ感覚で会社選びをしてみて欲しい。恋人ができるのも会社に入るのも、決してゴールではないんです。その先に長く続く、人生のスタートでしかありません。人と真摯に向き合ってくれる点に惹かれて豊島に入り、先輩や上司に恵まれて育てられてきた私は、本当に自分にあった会社を選べたと実感しています」

 

松鐘幸生(まつかね・ゆきお)

1979年福岡県出身。横浜国立大学経営学部卒。2002年入社。学生時代は麻雀に明け暮れ、卒論もそれをテーマに選んだ。豊島の選考が進んだとき、名古屋から人事部員の3人が、横浜まで松鐘と麻雀を打ちに来てくれたことに感激したという。

 

『商社』2013年度版より転載。記事内容は2011年取材当時のもの。
写真:葛西龍

 


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