三谷商事 鳴海賢一
自分一人ではなく、
仲間と一緒に成長していく!
今の若手たちが経験を積んだとき、三谷は本当に強くなる
思えば、高校時代にキャプテンに指名されたときも、東京支店の支店長に任命されたときも、鳴海の人生は「どうして、自分が……」と思うことばかりだった。
「高校時代には自分より優秀な選手は大勢いましたし、職場でも、私より仕事がデキる人、社歴の長い先輩などもいましたから、支店長の内示を受けたときはホントにびっくりしました。自分なんかでいいのかな、というのが正直なところでした」
しかし、このエピソードにこそ、鳴海の人となりが表れている。「オレが、オレが」と自分を過度にアピールしたり、ギラギラしたところは微塵もない。謙虚で、淡々とした仕事ぶりが常に評価され、気がつくと周りからの信頼を集め、リーダーへと盛り立てられる。
本人にしてみれば「どうして自分が……」という思いはあるが、一度任されたからには「やるしかない」といういつもの口調で、すっと前を向く。
それが仕事人・鳴海賢一の姿である。
そんな鳴海も支店長を任されるようになってからは、仕事や組織に対する考え方が少しずつ変わってきた。
「これまでは自分自身が仕入先やお客様との関係を築き、営業していく楽しさを感じていました。でも、これからは『若手をどれだけ育てられるか』ということがより大事になってくるでしょうね。これは三谷の社風でもあるんですが、とにかく若手には、何でも自分で考えて、自由に、どんどん挑戦して欲しいと思っています。
『任せてもらえる』というのは、私が先輩たちにしてもらったことでもありますし、そうやって仕事の楽しさやむずかしさ、充実感を学ばせてもらってきました。だからこそ、今度は自分が若手たちに『その楽しさや充実感』を引き継いでいきたいんです」
鳴海自身がそうであったように、経験の浅い若手たちは常に完璧な仕事、完璧な判断をするわけではない。ときに若手からは「このお客様、利益は低いんですけど、どうしても売りたいんです」などと言われることもある。
そんなとき、いつも鳴海の心にあるのは「できるだけ、ブレーキをかけるようなことはしたくない」という思い。利益とか、支店全体の業績に関することは先輩や上司である自分たちがなんとかすればいい。まず若手には「自分で考え、行動する」ということを実践して欲しいし、何より、受注する喜びや充実感を味わって欲しい。鳴海もそうやって先輩たちに育ててもらってきたのだ。
「数字の話だけでなく、自分がしてもらった恩は次の若手に引き継いでいく」というのは三谷商事の伝統でもある。だからこそ、今の鳴海は若手の成長を一番に考える。
「自分自身もそうですが、三谷商事には若くして現場で活躍しているメンバーが本当に多いんです。若いと言えば聞こえはいいですが、やっぱり経験不足なところはありますし、業界の先輩方が築いてきた歴史のようなものを、知らなかったり、その重みを理解できなかったりする部分は否めないんです。
だからこそ、私たちは社内外を問わず、先輩たちから教えてもらえる機会があれば、積極的に参加して、必死になって吸収していくことが重要です。
でも、それこそが5年後、10年後の〝三谷の強み〟になると私は考えています。
今は駆け出しの若手であっても、この分野で10年もやれば、それなりに経験を積むことができます。どんな業界もそうですが、いずれ必ず世代交代の波が来ます。
そのときに、初めて業界に入ってくる人たちに比べれば、若いうちから現場で経験を積み、失敗しながら先輩方にいろいろ教えてもらってきた私や後輩たちのほうが、確実にアドバンテージがあるでしょう。そのときこそ、うちの支店やうちの会社が組織として、チームとして、本当に強くなれると思うんです」
自分自身の将来だけでなく、仲間たちと一緒に築き上げる組織全体の未来像に思いを馳せるあたり、じつに鳴海らしいところだ。
「だって、自分1人でいい思いをしても楽しくないでしょう。みんなで一緒に昇っていくから、楽しいんです。やっぱり、私は野球をやっていたことが大きいんですかね……」
そう言って、鳴海ははにかんだように笑う。
学生へのメッセージ
入社後から一貫して建設資材の営業に携わり、転勤を伴う総合職としては珍しく一度も異動を経験せずに、東京支店長になる。
「じつは三谷商事の最終面接のとき、『他社(大手商社)とウチと両方内定をもらったら、どちらに行きますか?』と聞かれて、正直に『他社へ行きます』と答えたんです。そんな自分にも内定を出してくれて、熱心に誘ってもくれた。就活でも、そういった人と人とのつながりがとても大事だと思っています。三谷商事には、人を大事にしてくれる先輩たちが大勢いるので、やる気のある若手にはぜひうちに来て、一緒に働きたいと思っています」
鳴海賢一(なるみ・けんいち)
1981年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学教育学部卒。2004年入社。
『商社』2018年度版より転載。記事内容は2016年取材当時のもの。
写真:葛西龍