商社の仕事人(72)その3

2019年04月17日

伊藤忠商事 金田直也

 

世界地図は、

すべてこの手で塗り替える!

 

 

「感謝」という名のクレジット

伊藤忠食糧入社後の金田は「とにかく海外に行きまくった」という。ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、コスタリカ、ドミニカ、ベネズエラ、エクアドル、コロンビア、ペルー、ブラジルなど、中南米の国々はほとんど訪れ、各国の年度ごとの収穫量や品質、主要生産地の変動や栽培されている品種と味はもちろんのこと、現地の有力な輸出業者、さらには政治情勢に至るまで事細かく調べ上げた。

「伊藤忠食糧は当時カカオ豆の取引相手国はわずか2か国。収穫量や品質は毎年大ばらつきがありますから、国内メーカーへの供給は不安定になりがち。そこで、取引先のバラエティを増やそうと思ったのです」

だが、中南米各国に布陣するライバル総合商社たちはカカオ豆の担当者だけで伊藤忠食糧の3倍以上のスタッフが配置され、取引のある国や輸出業者も数多く、掴んでいる情報量も桁違い。金田は行く先々で輸出業者から門前払いを食うことになる。

「いやあ、完全になめられていましたね(笑)。自分自身は他社の人間にまったく負けているつもりはない。でも、新参者の言葉には聞く耳を持ってくれないばかりか、会ってもくれないわけです。〝こいつら絶対に許せねえ〟って思いました(笑)。僕の場合、〝怒り〟がすべてのモチベーションなんですよ。自分の人生の莫大な時間を注ぎ込んで戦う、この経済ゲームに絶対負けたくはありません。門前払いされた瞬間、一気にスイッチが入りましたね」

こう語る金田のもとに降って湧いたのが、冒頭で紹介したカカオ豆へのポジティブリスト制度導入という千載一遇の〝チャンス〟だった。これを逃す手はないと考えた金田は、勇躍乗り込んだエクアドルで輸出業者と独自の契約を締結。カカオ豆の生産現場の隅々にまで足を運び、仲買人や生産者たちの賛同を得て、ポジティブリストの基準をクリアするカカオ豆の調達に成功する。これにより生産者も輸出業者も伊藤忠食糧も、そして国内メーカーも、ひいてはチョコレートやココアの消費者までもが皆、安全で高品質なカカオ豆の恩恵を受けることになった。金田が契約を結んでからおよそ2年の歳月が経っていた。

「結局、ピンチをきっかけとしてカカオ豆の生産から流通に至る全体の仕組みを理解した上で、それを変えました。ずっと深いところまで入り込むことで成功へと導くことができたんです。これを伊藤忠らしく言うならば、売り手よし、買い手よし、世間よしの〝三方よし〟の商売にしたということになるんでしょうね(笑)」

金田は中南米のラテン気質な輸出業者との付き合い方について、こう語る。

「ステレオタイプに纏めるつもりは微塵もありませんが、中南米の方々は非常に感情豊かに迫ってきます。素直とも言えますし、やや斜めから見れば、良くも悪くも感情を爆発させることを厭いませんので、こちらもある程度そのテンションを意図的にトレースした上で対峙する場合もあります。とは言え当然ですが、国民性とは別に一般論としての個人差はありますので、常に意識するのは相手が考えている以上の付加価値を与え、必要不可欠な存在となる。ビジネスですから駆け引きも当然ありますが、〝こいつやるな〟と思わせなければなりません。それにはまず誰よりも早く有益な情報をプレゼントし、相手の懐が潤うようにしてあげること。そうすると当然感謝されます。その感謝という名のクレジットを積み重ねることによって、相手との濃密な関係が始まるわけです。一緒にガンガン飲んで、時には即興で踊ることもある、そして互いのプライベートについても熱く話をする。そうなってくると、表面的なお金の話を超えて、信頼という意味で相手の心に〝金田〟という人間であり、〝伊藤忠〟というブランドが突き刺さり、より深い関係を持てるようになるわけです」

この濃密な付き合いを、様々な国の様々な相手と繰り返すことで、金田は入社5年目を過ぎてあるコツを掴んだという。

「何百回、何千回も取引先と会う、そして商品を見る。それは成長という階段を一段ずつ昇るということだったんです。そして、その経験が次第に集約されて、ビジネスのコツが見えてくる。すると、どんどん異なる切り口のアイデアが浮かんできます。そのアイデアを具現化するため、とことん考え抜いて仮説を立てて検証する。それを反復する。取引先とも徹底的に話し合う。24時間365日、あらゆる仮説をずっと考えています。止めたくても楽しくて止まらないというのが実態ですね。仮にある日想像を絶する困難に対峙しても、大学時代の論理・理論地獄に比べれば、多分何ともありませんよ(笑)」

こうして新たな仕組みを考え抜いた金田は、カカオ豆の中南米各国の生産市場において、まるでオセロゲームのように、次々とコマの色を伊藤忠カラーへとひっくり返していく。そして2010年にはカカオ豆の日本輸入量の大きな部分を占めるまで至った。

入社わずか5年でカカオ豆の日本における取扱量を飛躍的に伸ばし、「ほらね、俺がやったらこの結果だよ」といささか調子に乗っていた金田。だが、その年、ヨーロッパで開催された国際ココア機関の世界総会で金田は思わぬ屈辱を味わうことになる。

⇒〈その4〉へ続く

 


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