社内外の人を巻き込み、
自分だからこそ生み出せる
付加価値を追い求める
F1を突破口に顧客のニーズを引き出す
もともと建築材料を扱っていたA社は、先輩社員から引き継いだ取引先だった。しかし、日々の業務の下地は先輩が作ったもの。それをこなすだけでは、担当が渡邉でも他の誰でも構わないことになってしまう。とはいえ、新しいビジネスはそうたやすくは生まれず、取引先ですら気づいていないニーズを掘り起こすことは、信頼関係の構築なくしては果たせない。それでは、渡邉はどうやってニーズの発掘を成功させたのか。そこには、実に地道な道のりがあった。
A社は三重県の桑名市に工場を構えており、工場長は大のF1好き。話のあちこちにF1が登場することが珍しくなかった。一方、渡邉自身はF1には全く興味はなかったが、話を合わせたいという軽い気持ちで「僕もF1に興味があるんですよ」と口走ってしまった。
「すると、次に訪ねた時に辞書のように分厚いF1の本を何冊も貸していただいてしまったんです(笑)。今さら興味がないとも言えず、かといって読まないわけにもいかない。腹をくくり、次回A社を訪ねるまでに読書感想文を発表できるぐらいに、1冊ずつ読み込んでいったんです」
こうして、半年ほどかけてF1話に花を咲かせられるようになった頃、工場長は渡邉に対しビジネスの話もしてくれるようになったという。A社は建築材料の他に食品関連機器も扱っており、有名焼き肉チェーン店の鉄板も製造していた。そして、現在使っている素材よりも錆に強く高品質で、かつ低価格なステンレス鋼を手に入れたいというニーズを持っていることが分かったのだ。
「しかし、A社が求めていたステンレス鋼は航空機に用いられるようなハイスペックな特殊鋼であり、価格が高く手が出ないのだと教えられました。では、そのニーズを満たすものを僕が提案すれば新たなビジネスになるわけですが、そう簡単にはいかない。新しい取引をスタートさせるためには、スペック的にも価格的にも、大きなメリットを提案できなければなりません」
結果として、A社が喜ぶ提案をするに至り、岡谷鋼機に特殊鋼による焼き肉の鉄板というこれまでになかったビジネスを生み出した。それは徹底的なリサーチの賜物であるが、しかし、渡邉は自分1人でできた仕事ではないとも言い切る。
焼き肉の鉄板にハイスペックな特殊鋼が用いられることを教えてくれたのはA社の工場長であり、ステンレス鋼を安く仕入れることのできるメーカーは先輩が教えてくれた。日本産では難しいが、航空機産業が盛んなアメリカには航空機用の特殊鋼を作るメーカーも多く、母数が多い分価格は低く抑えられていた。入社2年目では知り得ない情報を、先輩は惜しげもなく提供してくれたのだ。
「結果として僕が成果を上げることができただけで、1つのビジネスがいろいろな人の助けによって形作られていくことを学んだ出来事でもありました」
しかし、誰もやらなかったことをやろうとした渡邉の行動力がなければ、何も始まらなかったことも事実だ。多くの人の知恵を結びつけ新たなビジネスを生み出すに至った最初の一歩は、やはり渡邉の熱意と言っても過言ではないだろう。
⇒その4「尊敬する先輩のうしろ姿を追いかけて」
⇒岡谷鋼機