商社の仕事人(8)その3

2020年03月16日

伊藤忠丸紅鉄鋼 栗田貴史

 

全力で

「人と人との取引」に邁進する

 

 

ゼネラルマネージャーとイスラム教徒

2003年10月、栗田はインドネシアの事業会社P.T.POSMI STEEL,INDONESIA(以下、POSMI)にGMとして出向した。

POSMIで働く日本人は社長と栗田の二人だけであり、400名いる従業員は、栗田が仕切ることになった。GMとして派遣された栗田は初めての重責に張り切っていた。

しかし着任当初、栗田が目の当たりにしたのは、年上の従業員たちの不信の目であった。それは、自分よりはるかに若い外国人が突然現れ、自分たちを仕切ることに対するものであった。栗田は彼らの視線を気にしながらも、必死で仕事をこなしていった。

「赴任当初は、この若造が何を偉そうなことを言ってるんだと思われているのではと思い、最初はインドネシア語を少し勉強して、自分が怒っているのか、嬉しいのかという感情ををきちんと自分の言葉で表現できるようにしました。また、私は部下を持つのは初めての経験でしたので、人への指示の出し方、人の評価の仕方などの人材マネジメント分野も一から勉強しました。また、自分で言ったことを自分でできなければ、『お前は口だけで、実際は何もできないじゃないか』と馬鹿にされ、信頼を失ってしまうと思い仕事も必死で覚えました」

栗田にとっては、POSMIで働くこと何もかもが新鮮であり、意欲が掻き立てられた。知らないことばかりであるなら、素直にそれを認めて、貪欲に勉強しようと考え、栗田の勉強範囲は自然と広がっていった。

「財務の勉強もしました。ここでは資金繰りをきちんと考えないと、資金がショートしてしまうのです。インフレにしても日本では考えられないような激しいインフレが実際に起きたりして、その結果、いろんなところに不具合が起きる。そのようなことも含めて、とにかくいろんなことを幅広く勉強しました。その意味では、海外事業会社に出向・駐在したことは大変貴重な機会であったと思います」

栗田の勉強は、机上ではなく実地によって鍛えられていった。しかし、なかなか順風満帆には行かなかった。

栗田は在庫がなくなってしまうと顧客企業に納入することができず迷惑が掛かるため、無意識のうちに多めに鉄鋼製品を仕入れていたが、景気が急激に悪化し、顧客企業の生産量がたちまち半減するという事態になってしまった。そのために、たくさんの在庫を抱えることになり、資金繰りが厳しくなったのである。

「お客様からもう少しきちんと細かくお話を伺っていれば、こんな事態を招く羽目にはならなかったはずです。大いに反省させられました」と栗田は苦笑する。

失敗はそれだけにとどまらない。実はそれよりももっと大きな失敗もしたのである。今度は、顧客企業が当初の計画より生産量を増やしたために、栗田の会社に在庫がなくなり、ついにはこのままでは顧客企業の生産ラインをストップせざるを得ないという事態を招いてしまったのである。

「謝ってすむ問題ではありませんし、『なかったらいいよ』とお客様に言われれば、それで取引が終わりになってしまいますから、とにかく何としてでも同じ製品を探し出して来なければなりませんでした。

その時は本当に辛くて、心配で夜もおちおち眠れなかったのを記憶しています。しかし、そんなことは言っていられませんから、とにかくあらゆる方法を使って、日本や韓国など、可能性のあるところを必死になって探し続けました。結局、本社の営業担当者にも助けてもらい、また競合他社からも分けてもらうことができて、何とか解決することができました。日本国内にいたら、こんなことはとても許されることではありませんから、その意味では、いい経験をさせてもらい、多少なりとも精神的にタフになったのではないかとも思います」

様々な経験を積んだ栗田であったが、POSMI出向中に何より大事にしたのはPOSMIで働く従業員たちを理解し受け容れることだった。彼らのために工場内にはモスクがあり、1日に5回は礼拝をする、断食月には、日中、食事も水もとらず、仕事をする。これは彼らにとってはきわめて重要な慣習であり長年続いている文化である。これを無視して成果だけ求めても仕事はうまくいかない。栗田は、経験としてこれをよく理解していた。

本社にいてはとても経験できないような日常、夜も眠れないような失敗を経験することによって、栗田は一回りも二回りも大きく成長することができた。だが、栗田がジャカルタを離れる日が刻々と近づいていた。そして、迎えた最後の日のことだった。事業会社の従業員や顧客企業の関係者などが集まって、盛大に送別会を開催してくれたのだ。仕事ぶりはもちろんであるが、異なった文化・慣習を理解し、受け容れようとした栗田の姿勢が、そうさせたのだろう。

「みんなが『ありがとう、クリタさん、きっとまた戻って来てね』と言ってくれました。最後にそう言ってもらえたことが、私にとってはとても有り難かったし、一番嬉しいことでした」

栗田は、そう言って微かに笑みを浮かべる。その笑みこそ、事業会社における四年半が栗田にとっていかに意義深いものであったかを如実に語るものであった。

⇒〈その4〉へ続く

 


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