商社の仕事人(9)その3

2020年04月30日

JFE商事 坂野 達也

 

知力と人間力を駆使し、

高いステージで

世界の鉄鋼ビジネスを仕掛ける!

 

心を掴む瞬間、それは……

現在、海外事業展開を加速させるためグローバル人材の育成を掲げているJFE商事は、総合職社員に入社8年以内での海外赴任を推進している。だが、坂野がインドネシアに赴任した当時、出張や短期研修駐在が中心であり、入社4年目での海外現地法人駐在という例はほとんどなかった。坂野が東南アジアで数々の商談をまとめたことや、大口の取引先への対応を率先して行ってきたことなどが評価されたのである。坂野は言う。

「自分から韓国企業の担当者になりたいと言ったのは事実ですが、実は上司も私に任せたいと思っていたようでした。ただ、2年目の私に任せることを躊躇していたところに、私から手を挙げたので〝坂野がこんなうれしいことを言いやがった〟と上司は本当に喜んでくれたようです。それをあとから人づてに聞いて、私は思わず目頭が熱くなってしまいました」

こうしてJFE商事の社員として大きく成長した坂野は、インドネシア駐在員となり、赴任直後からまさに水を得た魚のようにいきいきと輝き出す。

インドネシアの鉄鋼マーケットの主流は、付加価値も価格も高いハイグレードな鋼材ではなく、坂野が日常的に扱っていた汎用性のある熱延鋼板だった。坂野はインドネシアで熱延鋼板を必要としている企業をリストアップし、その社長に次々と自らアポイントを入れて直談判した。

「これは私の考えですが、駐在員が1日中オフィスにいるようではだめです。1日に最低2、3社は顧客を回って、さらに新規開拓をしないといけません。また、ナショナルスタッフを頼って、自分で商談をしない人もこの仕事に向いていないと思います。それでは東京のオフィスにいるのと一緒です。どんどんアポイントを入れ、商談を重ねる。それを実践したことで、私の英語力も急速に伸びました。まあ、かなり伸びしろが残っていたということもありますが(笑)」

ただし、何が何でも社長を商談に引き出して口説き落とすというわけではなかった。なぜなら、ビジネスには「商流」という、一種の商習慣があるからだ。例えば、新規開拓の営業だからといって、勝手に他の商社が鉄の取引を行っている企業に行くと、もともと取引をしている商社からクレームが入るのである。そこで坂野はJFE商事の鉄ではない事業分野の商材からアプローチを始めた。例えば資材や機材、設備などである。

「鉄を扱う企業では、機械を洗う洗浄機やロールの機械、設備も必要となります。そこで、それらの情報をもって営業に行き、何くれと顔を出すようにするわけです。このように鉄以外の商材を用いて関係を築き、相手からの信頼を獲得することで、そのうち先方から、『鉄も…』という話が出てくる可能性もあります」

鉄の製造工程を川上から川下まで熟知し、鉄鋼製品に限らず、原材料や資機材など鉄の生産に関わる全てのものを商材として扱うことが出来る。これがJFE商事の営業パーソンの大きな強みの1つだ。

さらに相手の懐に飛び込む営業スタイルの坂野は、休日も顧客やターゲットとしていた企業の若手社員を誘って食事に繰り出し、親交を深めた。将を射んと欲すればまず馬からというわけである。そんな努力が功を奏したと感じるのは、それまでナショナルスタッフに連絡してきていたお客さんから突然、坂野のメールやSNS、携帯電話に直接連絡が来たときである。

「〝よし、掴んだ〟と思いましたね。相手の心に食い込まないと、直接かかってくることはありません。みんな日本のモノを買おうとしているわけですから、直談判のほうが話が早いと知っているわけです」

坂野の名前はインドネシアの鉄鋼ビジネス界で、瞬く間に広がった。

「ぎりぎりの生情報を知りたければ、坂野に聞けと言われるような人間になりたいと思っていました。会社の〝看板〟が力を発揮することもありますが、それがすべてではない。現地の人だって日参している私に耳寄りな情報を教えてくれるのが人情でしょう。私はそれが駐在員の実力であり、人間力だと思います」

こうして4年の歳月が流れた。「楽しくてしかたなかった」というインドネシア駐在との別れの時期が坂野に迫っていた。そして、2013年の夏、新たな辞令が下された。

⇒〈その4〉へ続く

 


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