商社の仕事人(19)その1

2017年05月15日

第一実業 柳澤保則

 

日本のエネルギー問題の

解決に尽力

 

 

【略歴】
1975年神奈川県生まれ。法政大学工学部卒。1999年入社。入社後は外資メーカーとの合弁会社に出向。ポンプグループで製紙用のポンプを販売する技術営業として勤務。2010年4月に素材プラント部に、同年10月に資源開発部に異動。その後、バイナリーグループで再生可能エネルギー事業の先駆者として、小型排熱発電装置の販売を担当。

 

いきなりの出向

大学の工学部でシステム制御を学んでいた柳澤は当初、将来の職業としてSEを考えていた。しかし就職活動を進めて行く過程で、オフィスの中にこもって一日中PCを操作するよりも、外に出てたくさんの人に会い、さまざまな企業の商品を国内外で扱うというビジネスに憧れを抱くようになる。多くの企業を回ったが、中でも親会社に縛られない独立系でエネルギープラント事業など大きな仕事を手がけている商社の第一実業に魅力を感じた。

見事第一実業から内定をもらうことができ、最高の気分で社会人としてのスタートを切ることができると有頂天だった。望んだ業界、会社でどこまで自分の力が通用するのか、精一杯戦ってやるぞと柳澤は気合十分で入社の日を待ち続けて、ついに配属発表のお呼びがかかった。緊張しながら人事部を訪ねると、人事部長は柳澤にこう言った。

「柳澤君には4月から当社の関連会社である第一アールストロームに出向してもらいます」

まさに寝耳に水だった。第一アールストロームとは製紙工場で使用される機器を製造しているフィンランドのメーカー・アールストローム社と第一実業の合弁会社だった(現・第一スルザー)。

同期が東京や名古屋、大阪に配属される中、入社していきなり関連会社への出向は柳澤ただひとりだった。

「しかもいきなりフィンランドに3週間もの研修ですからね。驚きましたよ。え、なんで俺なの? と正直思いました。出向自体についてはそれほど抵抗はありませんでしたが、人事部長に〝いつ本社に戻れるんですか?〟とつい聞いてしまいました」

そんな柳澤の気持ちを見透かすかのように、部長はやや強い口調でこう答えた。

「そんな気持ちで行ったら、出向先で仲間として受け入れてもらえないぞ!!」

このひと言で柳澤の目は覚めた。本社に戻れる日ばかりを気にして中途半端な気持ちで働いていたら出向先の社員からよく思われるはずがない。仲間として認められなければ仕事にも支障が出るだろう。何より本社勤務だとしても、希望する部署に配属されるとは限らない。実際、営業志望だったのに管理部門に配属になった同期もいる。

「確かに部長のおっしゃる通りだなと。出向先に行く前からああだこうだ考えていてもしょうがない。第一実業の代表としてともかく一生懸命がんばってみよう。実際に働いてみてどうしてもダメならそのとき考えればいい。開き直りました(笑)」

人事部長のひと言ではらは決まり、入社翌月の1999年5月、ゴールデンウィーク明けからまずは3週間、研修のために柳澤は単身フィンランドへと飛び立った。

 

柳澤が赴任したのはフィンランド東南部キュメンラークソ県に位置する「コトカ」という町。人口約5万人の美しい港町で、製紙業の盛んな街でもあった。案内されたアールストローム社の製紙機器製造工場は東京ドーム10個分はゆうにありそうな広大な工場だった。数百人の工員のうち、もちろん日本人は柳澤ただ1人だ。柳澤はこの工場でフィンランド人の工員に混じって生産ラインで機械の組み立てに従事した。この機械こそ柳澤がこれから販売していく商品だったのだ。

「現地の工員はみんないい人で、英語を使って身振り手振りでいろいろと教えてくれました」

最初は日本人1人の環境で不安を感じていたが、週末はベテランの工員の家に招待されて食事をごちそうになったり、サウナに一緒に入ったり、湖をクルージングしたりと、とても親切にしてもらった。

研修期間の3週間は瞬く間に過ぎていった。

帰国後は東京の第一アールストローム(現・第一スルザー)で、同社製のパルププラント関連設備機器を国内の製紙会社に販売する技術営業として働く日々が始まった。フィンランドで作られたポンプを日本用に改良して、日本の製紙会社に販売するという仕事だった。いわば外資メーカーと日本の企業の間に入り、日本の常識と文化をもって両者を取り持つという役割だ。

第一アールストロームはアールストローム社の日本支社という位置づけだったため、従業員は日本人のみだったが、本国工場との日常的な会話やメールなどは英語で行われていた。柳澤は海外留学経験などはなかったが、幼い頃から英語には慣れていたので、この点で苦労することはあまりなかった。

さて、実際に働き始めて、フィンランドでの3週間はとても貴重な経験だったと思い知ることになる。

「実際に現地の工員と一緒に機械を組み立てることで、自分が扱う商品に対しての理解と思い入れが深まります。日本に帰ってからも、仕事をしながら事あるごとに彼らの顔を思い出していました。機械を販売するとき、作っている人の顔や作業を知っているのと知らないのとではやっぱり全然違うんですよね。また、日本に帰ってから工場とやりとりするときでも、お互いの顔を知っているから無理なお願いでも融通を利かせてもらえました。会社はこういう目的のために、現地で彼らの顔と名前を覚えて帰って来いと研修に送り出してくれたんでしょうね」

主に取り扱っていた商材が遠心ポンプであったことも幸運だった。紙ができるまでにはたくさんの工程があり、さまざまな機械が必要とされるが、その機械と機械をつなぎ合わせるとき、ポンプが必ず介在している。つまり、全工程でポンプは必要とされるのだ。

「そんなポンプを扱うことで、製紙の全工程を俯瞰することができます。とても大きな自信になりました」

ある特定の商品をただ販売することだけが商社パーソンの仕事ではない。多岐にわたる商品がどういう目的で、どういうシーンで使われるのかを理解していなければ販売先を納得させることはできない。そのとき、全工程を理解していることは強い武器となる。

「当初はいきなり外資系メーカーとの合弁会社に出向かと少し戸惑いましたが、いい機会に恵まれたと感謝しています」

翌年、スイスの機械メーカー、スルザー社がアールストローム社を買収したが、日本支社は引き続き第一実業との合弁会社という形で継続することになり、名称が「第一スルザー」に変わった。しかし海外メーカーの機械を日本の製紙会社に販売するという業務内容は変わらなかった。

難しいのは、海外のメーカーと日本の会社の間に入ってビジネスをしなければならないという点。スイスと日本では文化や風習、ものの考え方が異なる点が多かった。

「価格や納期について、ある時はメーカーとともにお客様を説得しなきゃいけないし、ある時にはお客様の意見を尊重してメーカーに納得してもらわなければいけない。両者の間に入り、それぞれの主張を聞きつつ落とし所を探るのが苦労しました」

しかし柳澤は経験を積むにつれてコツをつかみ、2007年にはひとつの案件で年間売上額に相当する大きな取引をまとめる実績も作った。

「100台の機械を受注したのですが、お客様も一度に100台を持って来られても困ります。そこで現場の工事工程に合わせながら段階的に納品していかなければなりません。そのスケジュールと段取りを組み、メーカーと顧客との間に入ってすべて納期までに無事納品したときは大きな達成感を感じました」

⇒〈その2〉へ続く

 


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