商社の仕事人(30)その1

2017年07月31日

第一実業 小番俊幸

 

異国の地で孤独に打ち勝ち

大きく成長

 

 

【略歴】
1975年東京都生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒。1999年の入社後、6年間エレクトロニクス業界にて営業を担当。入社7年目に新設された海外研修制度に応募し、第1期生としてイギリス・ロンドンへ渡る。

 

不本意なスタート

ある日の夕方、ハンガリー・ブダペスト郊外にある客先工場から事務所に戻った小番は、書類を整理して帰宅の途に就こうとしていた。そこへ一本の電話が鳴る。

「小番君。以前納入してもらった設備ね、どうも今日の午後から調子が良くないんだ。製品の納期が迫っていてね。悪いけどこれから見てもらえるかい?」

「本当ですか、わかりました。今から伺います」

関係資料を鞄に詰め込み小番は車に向かった。工場までは片道約150キロ、2時間半はかかる。「長丁場になりそうだ」。彼はそう予感した。車中、窓を開け敢えて冷たい風を身体に当てる。待ち望んでいた東欧でのビジネスの醍醐味を実感し、エンジンがかかったようにやる気がみなぎった。

 

「セールスは間に合っている、今忙しいんだ! 迷惑なんだよ!」

受話器から聞こえてくる怒声に小番は思わずうなだれた。

「申し訳ございませんでした…」

謝罪の言葉を最後に電話を切ると、再び気を取り直して電話帳に目を落とし、電話機のプッシュボタンに指を伸ばす。

次の会社の人は最後まで話を聞いてくれるだろうか──。そんな思いが脳裏を横切る。

「お忙しいところ失礼いたします。私、第一実業の小番と申します。このたびは弊社商品のご案内でご連絡させていただいたのですが、ご担当者様はいらっしゃいますでしょうか」

大学時代にドイツ語を学び、年に1、2回ほど海外へ長期旅行に出かけることがあった小番は、将来は海外で仕事をして活躍したいという夢を抱き商社を志望した。大学卒業後、希望通り総合機械商社の第一実業に入社し、精機営業本部(現エレクトロニクス事業本部)のSMT部門に配属された。

SMTとは、各種デジタル家電、携帯電話、ハイブリッドカーなどあらゆる電子機器の中にあるプリント基板の表面に、ハンダを塗布して電子部品を実装する技術だ。小番に最初に与えられた仕事は、SMT実装機の新規顧客の開拓だった。主な客先は国内のデジタル関連部品を製造する会社であり、自社との取引がない会社を探しては電話帳をめくりながら手当り次第に営業の電話をかけていた。

「新規顧客の開拓はほとんどが町工場などの中小企業でした。中小企業は社員数が少ないから忙しいですよね。そういう状況ではなかなか訪問のアポイントが取れず、それどころか、『この忙しい時に電話かけてくるな!』と、ものすごい剣幕で怒鳴られたり、まだ私が話している最中に何も言わず一方的に電話を切られることもよくありました」

ようやくアポイントが取れた会社に通い詰めても、なかなか成約まで至らないこともある。「どうしたらいいんだ」と一人悩む日が続いた。

しばらく経ったある日、長らく通いながらもなかなか商談にこぎつけなかった町工場の社長から、ついにSMT実装機の受注を獲得した。

「何度通っても設備購入の話にはなりませんでした。しかし、社長から日々のご苦労を伺っていましたので、少々気難しい方でしたが、私は何かしらの役に立ちたいという思いで日々社長のもとへ通い続けました。だからこそ、注文をいただいたときはものすごくうれしかったですね」

また、ある会社からは少額の部品ではあるものの、約半年間にわたって継続的な受注を獲得できたこともあった。相手が自分を信頼してくれたことがうれしく、人間関係を築く大切さを少しずつ学んでいった。

それからまたしばらく経ち状況が変化する。事業本部内において新規事業を立ち上げることになり、小番はそのメンバーに選ばれたのだ。規模の大きなプロジェクトに携われる希望も見え、さらに商社パーソンらしい仕事ができる、と意気込みを持っていた。しかし、新規事業は小規模な部隊に止まり、実行できることにも限界があった。また、事業本部としてのメインはあくまでもSMT実装機の販売であり、その需要は国内外問わず非常に旺盛で多くの収益を上げられていたため、事業本部のバックアップが十分に得られているわけではなかった。小番は小さな可能性に希望を持って取り組んでいたが、なかなか成果につなげることができなかった。

⇒〈その2〉へ続く

 


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