商社の仕事人(30)その2

2017年08月1日

第一実業 小番俊幸

 

異国の地で孤独に打ち勝ち

大きく成長

 

 

大きな転機――海外研修制度

小番に大きな転機が訪れたのはそれから2年が経つ頃だった。年に一度の人事担当者との面談時に、新設されたばかりの海外研修制度の話を聞いた。しかし、その時既に応募の締め切りは過ぎていた。それでも小番は海外で仕事ができることに大いに興味を持ち、人事担当者に自身の熱い思いを必死に伝えた。

「入社前から海外駐在を希望していましたから、そのチャンスが目の前に訪れたようで必死でした。海外で活躍したい、その一念でしたね」

小番の熱意は経営幹部にも伝わり合格を果たした。そして、海外研修制度第1期生としてロンドン支店に勤務することが決まった。新規事業から離れる心苦しさはあったが、海外でチャレンジしたいという熱い思いを持つ小番の背中を押してくれた上司の懐の深さは今でも忘れていない。

夢だった海外、しかも最も行きたかった欧州へ行ける。小番の心は湧き立っていた。入社7年目にして自身が描いていた商社パーソンとしての人生が始まったのだった。

海外研修の期間は半年で、現地の商習慣を学ぶこととビジネスにおける語学の習得を主な目的としている。基本的な研修スケジュールは、午前中に語学学校へ通い午後は実務を行うというものだ。小番にとってはまさに夢のようなプログラムであったが、待っていた現実はそう甘いものではなかった。

当時の欧州地域には次々に日系企業が進出しており、大規模な工場建設計画があちらこちらで持ち上がっていた。土地の取得から現地企業・現地スタッフの選定、必要な設備の価格交渉や納期調整などの業務全般をパッケージとして請け負う、それが第一実業の新しいビジネスモデルでもあった。よって仕事は山のようにある。しかし、当時のロンドン支店には駐在員が数えるほどしかおらず、本業である設備調達までなかなか手が回っていなかった。その状況の中で小番が渡欧。ロンドン支店にとっては「研修生」ではなく、「即戦力」として迎えたい貴重な人材だったのだ。

「圧倒的にマンパワーが不足していたため、研修生とはいえ『実務こそ経験なり』という理念の下に駐在員としての実務を行うことになったのです。語学学校に通う余裕は全くありませんでした」

しかし、日本で多少の日常会話を英語で話すならともかく、イギリスでのビジネス会話においてネイティブスピーカーが話す英語などほとんど聞き取れない。

「仕入先のイギリス人から電話をもらっても何を言っているのかが理解できず、聞き取ることに必死で、自分からはなかなか話せませんでした。日本語であれば電話して1分で終わる話をメールでやりとりするしかなかったので、実質2時間くらいかかったりもしました。言葉では本当に苦労しましたね」

さらに、ロンドン支店で扱う商材はこれまで小番が取り扱ったことのない設備ばかりだったため、専門用語やバックグラウンドなど、基礎知識から必死で学ばなければならなかった。小番は休日も惜しみながら、昼夜自己研鑚に励んだ。

赴任当初から想定外の出来事の連続だった海外研修だが、状況はさらに思いもよらない方向へと向かっていった。当時、東欧のビジネス需要も伸長していたため、ハンガリーのブダペストに駐在員事務所(現ブダペスト支店)を開設する準備を進めていた。やがて小番もその準備に加わり、無事に開設された後も同所に勤務するようになっていた。

ブダペスト事務所での具体的な業務は、ハンガリー、スロバキア、クロアチアなどに進出する日系企業の工場立ち上げのサポートや設備の納入、また、現地企業へSMT実装機等を販売することもあった。その頃にはブダペストでの仕事量はロンドンでの仕事量を凌駕していた。

そして研修が残り2か月になったとき、研修終了後よりブダペスト事務所長として正式に任命されることになり、引き続きハンガリーに駐在することが決まった。

「確かに当初の予定とは変わっていったのですが、半分は狙い通りという感覚もありました。勤務地がハンガリーになるとは予想もしていませんでしたが、その後のキャリアに何らかの形でつながるだろうと思い、辞令を受けました」

海外研修から東欧の駐在員へ、小番の思いと仕事が一気に広がり始めたのだった。

⇒〈その3〉へ続く

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験