蝶理 松下友和
バングラデシュでのモノ作りに
熱い思いを燃やす
何もかもが違うバングラデシュでは試練の連続
成田から15時間、熱い思いを抱いて、松下はバングラデシュに降り立った。自分たちの要求に応えてくれる企業や縫製工場を、まずは探し出さなければならない。それが叶わなければ、松下のプランそのものが根底から崩壊してしまう。松下の意気込みは自ずと高まっていた。タラップに吹き寄せる季節風が心地よかった。
学生時代にバックパッカーとしてアジア各地を旅して回った経験がある松下には、余程のことでもない限りは驚かないだけの胆力が備わっている。ところが、実際にダッカのシャージャラル国際空港に降り立った途端、今までの旅では感じたことがなかった違和感に捉えられてしまった。
バングラデシュはイスラム教国で文化も人種も違うから、すんなりとは溶け込めない。さらに、空港から街中に出ると、そこはもう混沌の渦の中。日本の半分以下の国土に日本以上の人口がひしめいている。通りには信号がほとんど見当たらず、人とリキシャー(自転車タクシー)、それにタクシーが溢れている。交通ルールなど存在していなように思われた。松下にとっては、まさしくカルチャーショックだった。
「人間臭い混沌とした雰囲気は嫌いじゃありませんが、さすがにすごいところに来てしまったなと思いました。だけどその一方で、自分がそういう気持ちになるような所でなければ、すぐにまた別の国や地域にシフトして行かなければならなくなるだろうから、ここで良かったのだとも思いました」
松下は早速、イスラム圏での経験が豊富なベテランの駐在員からの貴重な情報を集めた。様々な人脈を頼って何十社もの縫製工場を見て回ったり、経営者と会って話をしたりし始めた。しかし、すぐに大きな壁があることに気付かされる。バングラデシュの企業は今までもっぱら欧米の企業を相手にビジネスをして来たので、ビジネスについての考え方が松下の考えるものと全く違うのである。
「欧米のオーダーは、小品種大ロットで、値段はそれなりに厳しいですが、品質基準は緩くというのが一般的であり、しかも付き合いは基本的に短期的です。それに対して、私たち日系企業の場合は、オーダーは多品種小ロットでしかも品質基準が非常に高く、ロングスパンで商売を緩やかに拡大して行くというのが基本的な考え方ですから、彼らにしてみれば、今までとは全く逆のことをやらされることになるわけです。値段や品質のことよりもまず、しっかりとした信頼関係を築いた上でロングスパンのビジネスを展開して行きたいという私たちのスタンスを、経営者に理解してもらうことが大事だと思いました」
しかし、それも一筋縄ではいかない。例えば日本でなら、夜に一緒にお酒を酌み交わしながらいろんな事を語り合うことで信頼関係を築くことができるが、イスラム教国のバングラデシュでは、そもそもそういう付き合いが出来ない、基本的にお酒は禁止だ。つまり正攻法で行くしかない。
「彼らは日系企業との取引きが初めてだというところがほとんどで、確かに不安を持っています。それを取り除くためには、私たちと取り引きすることのメリットを実際にやってみて感じてもらうしかないのです。そうでないと、次のステップに進むことが出来ません。言ってみれば、彼らにとっては、一度も食べたことのないものを食べるのと同じなので、こういう食べ方をしなさいなどと言っても分からないんです。食べ方は自由にしていいですし、まずければ違う風に料理しますから、まずは一緒に食べるところから始めましょうという具合にして進めて行くしかありませんでした。当然、当初は赤字も覚悟しなければならなかったので、始めの頃は自分でも何をやっているのだろうと、かなり不安でした」
さすがの松下も、そこまでは想定していなかった。やってもやっても成果が上がらず、意気阻喪を禁じ得ない場面も多々あった。それでも松下は確信していた。
「これがうまくいったら、圧倒的な競争優位に立てる」
松下の地道な努力は続いた。自分たちの考え方を理解してくれる経営者も着実に増え、目に見えて成果も上がってきた。しかし、ここはバングラデシュである。
⇒〈その3〉へ続く