商社の仕事人(40)その5

2017年12月15日

蝶理 松下友和

 

バングラデシュでのモノ作りに

熱い思いを燃やす

 

 

貧しい国に貢献したいという強い思いを抱き続ける

松下には学生時代の旅の記憶として忘れられない1つのシーンがある。カンボジアでのことだった。そこには地雷で脚を失った人たちがたくさんいて、物乞いなどをしていた。松下はそれまで、色々な国を旅し、多くの場所で浮浪者たちに金をせびられたことがあったが、一度として金銭をカンパしたことはなかった。ところが、その時、カンボジアで脚を無くした人に手を差し出された時、松下はごく自然にその手に1ドルを渡していた。

「本当に心の底から使ってくださいと思って渡したのです。生きて行くために自分の脚や手や臓器を売ったりしている人たちがいると聞いていましたが、その人がまさしくそうだと直感しました。国が貧しいために、働きたくても仕事がないから、そうすることでしか生きていけないわけです。生きて行くことがいかに大変なことかと思い知らされました。現実にこんな世界があるんだなと痛感させられました。と同時に、どんな形でとは分かりませんが、そういう人たちが少しでもなくなるように、貧しい国に対して貢献したいなと素直に思いました」

松下は、その思いをずっと抱き続けていた。その想いが貧しい国といわれるバングラデシュでのモノ作りの実現を目指した原動力とも言える。

「工場をバングラデシュに決めたのは、言うまでもなくビジネス的な要素が強いですが、それを後押ししたのは、恵まれない国の人々に貢献したいという昔からの強い思いでした。現場では確かに予期せぬたくさんの困難がありましが、その信念が揺らぐことはありませんでした」

松下が実現したバングラデシュでのモノ作りは、繊維大国バングラデシュでも、繊維産業の新しい未来を切り拓くエポックメーキング的な事業であり、今後の拡大が大いに期待される。松下は工場で懸命に働く若い工員たちの明るい表情が忘れられない。少しでも役に立っているのだろうか、いつも自問する。もしそうであるならば、自分が蝶理という商社で仕事をしている意義もあるのだと。

松下は驕ることなく、さらに思いを張り巡らせている。自負を内に秘めながらさらなる事業の拡大に意欲的に取り組み続けている、その姿勢が揺らぐことはない。

 

学生へのメッセージ

「私は日本から飛び出していろんな世界を見て、そこには明と暗という2つの部分があることを知り、その両方をうまく取り込んだ形で仕事をしたいと思ったことが、信念となって現在に繋がっています。思うに、本当に自分がしたいことというのは、考えて探すものではなくて、自分が信ずるものが何であり、やりたいことは何なのかを素直に自分の胸に手を当てて問いかけることによって見付かるものなのです。それこそが本当の自己分析であり、自分に相応しい就職先の発見、さらにはハッピーな人生へと繋がるものだと思います。ですから、型にはまった自己分析だけは辞めて欲しいと思います」

 

松下 友和(まつした・ともかず)

【略歴】
1979年、大阪府生まれ。立命館大学産業社会学部卒。2003年入社。学生時代、世界各国を旅して回っている中で、活気に満ち溢れるアジア諸国に魅了され、海外志向が芽生え始める。その一方で、いろんな国で貧富の差を目の当たりにするうちに、趣味であるファッション(服)を通してアジア諸国の発展に貢献したいという思いが募って来て、繊維の取扱いもある商社の蝶理に入社。

 

『商社』2015年度版より転載。記事内容は2013年取材当時のもの。
写真:葛西龍

 


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