商社の仕事人(42)その1

2018年01月8日

日立ハイテクノロジーズ 黄世勇

 

ビジネスの厳しさを

知った経験を糧に、

更なる成長を目指す

 

【略歴】
1976年中国黒龍江省ハルビン市出身。神戸大学大学院経営研究科卒。2004年入社。

 

ああ、数十億円のビジネスが競合相手の手に!

黄世勇は、茫然として立ちすくんでいた。今、目の前で起きたことが現実だとは、とても信じられなかった。

「ま、まさかっ。嘘だろう!」

周囲がどよめく中で、担当責任者の黄は何度も呟いていた。あまりのことに言葉が出ない。

その現実を受け入れることは、自らの敗北を認めることに他ならない。人に自慢できるほどの実績があり、自らに対して高い誇りを持っている黄に、そんなことができるわけがない。だが、現実は現実である。呟きには痛いほどに悔しい思いが滲んでいた。

その日、黄が来ていたのは、中国・北京市にある大手液晶パネルメーカーの本社である。同社が新たに大きな工場を建設することになり、その工場に納入する露光装置の入札が行われたのである。そしてその会場で、入札に参加した企業の担当者たちが期待と不安で落ち着かない中、たった今、入札の結果が発表されたところだった。

大きな露光装置を納入するような案件はそんなにたくさんあるわけではない。やはり一つひとつの案件を確実にものにしていかなければならない。ましてや今回の案件が、1年前に黄が初めて露光装置を受注することに成功した会社のものであり、数十億円にものぼる大きなビジネスとあっては、失敗は絶対に許されなかった。事前にプロジェクト・チームを結成し、それこそ万全の態勢で入札に臨んだのである。

営業担当者としてチームに参加した黄は、当時入社6年目。日立ハイテクノロジーズ上海会社に赴任してから3年目を迎えていた。中国では、黄たちの活躍もあって、日立ハイテクの露光装置のシェアはほぼ100%という状況だった。黄たちは、今度の案件にも絶対的な自信を持っていた。

「私たちには実績と勢いがありましたから、競合相手はもう中国では露光装置のビジネスは無理だと諦めるはずだ、とみんなが思っていました。そこまで競合相手は追い込まれていたはずです。現に、ライバル社の1つは、日立ハイテクが相手ではもう戦えないと判断して、露光装置の事業部を分社化していました」

確実に市場は独占していた。負けるはずがないと誰もが確信していたと言っても過言ではない。そんな中、黄をはじめとしてその場にいたチームのメンバーは、入札の結果を聞いて信じられなかった。絶対にあり得ないと思っていたことが、まさに現実となったのだ。

競合相手が提示した金額は、黄たちが提示したものより10%以上も安かった。黄は一瞬、耳を疑った。自分たちの提示額とこれだけ大きな開きがあるとは、とても信じられなかった。その強烈なショックは、メンバー全員を打ちのめした。

場の雰囲気は、瞬時にくっきりと二分された。「してやったり!」という競合相手側は、昂揚感に溢れている。それに対して、黄たちの側はと言うと、「しまった!」という思いで意気消沈している。勝者と敗者をはっきり分ける、情け容赦のない、厳しいビジネスの現場がそこにあった。

「露光装置のような高付加価値の装置は、もともと価格競争には馴染まないものですし、安く作ろうと思っても、そんなことはできるはずがないという先入観が我々にはありました。仮にできたとしても、結局は自分の手でこの市場を破壊してしまうことになりかねませんから、まさかそんな無謀なことをする企業はないだろうと思っていました。ところが、蓋を開けてみたら、競合相手は驚くほどのコストダウンを実現していたのです。我々を追い抜こうとして必死になって技術開発に力を入れ、製造コストの大幅な削減に成功していたのです。しかも、パネルメーカーもいつの間にか品質・性能重視からコスト重視へと方針を転換していました。私たちは、そこに気付くのが遅かったのです」

黄たちは、市場を独占しているという強さを過信し、すっかり警戒心を忘れ、油断していたのだ。その間に、競合相手は着実に力を付けていた。黄たちは見事に足元をすくわれてしまい、初めて自分たちの甘さを思い知らされる結果となった。

⇒〈その2〉へ続く

 


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