三井物産 田中理帆
子どもたちの未来を支える
「良い仕事」を目指して
巡りめぐってこの子たちに
現在、田中はメディカル・ヘルスケア事業第2部の医薬事業支援第一室に所属している。メディカル・ヘルスケア事業部は、従来、複数の部署で取り組んできた医療・健康関連のビジネスを集約し、2008年に新設された部署である。ここでは医薬バリューチェーンとヘルスケアサービスネットワークを二本柱として、製薬企業や医療機関による質の高い医療・医薬品の提供を支援するサービスを、日本国内および先進諸国、アジアをはじめとする新興国において幅広く事業展開している。田中はこの事業部に一人目の子どもの産休明け、2010年に配属された。
「産休からの復帰前、上司から〝ここはどうかな?〟と尋ねられたのが今の事業部です」
どの企業であっても人事異動は望みどおりにはいかないものである。ただ、それを思いどおりにならないと思うか、いいチャンスだと思うか。それは考え方次第だ。田中はいつもいいほうに解釈し、前向きに捉えているという。実際、都市開発事業部への配属でも、思いも寄らない発見や経験をし、新しい視点、スキルを身につけることができた。しかし、メディカル・ヘルスケア事業部の場合は違った。
「思わず、やったあ!と声を上げてしまいました。もちろん全く新しい分野に、正直驚き、客先や社内での人間関係を一から構築できるか一抹の不安もありました。ただ、それは私がずっとやりたかった〝国と国をつなぐ〟仕事だったのです」
田中の所属する医薬事業支援室は、医薬品の開発、製造支援から流通・販売にいたるバリューチェーン全体を視野に、医薬品業界にさまざまな価値を提供することを目指している。たとえば、日本の製薬メーカーのために海外で原料を調達し、それをアジアの医薬品製造受託メーカーで一次加工し、さらに欧米の最先端機器を使った2次加工を施したうえで、日本国内で最終処理を行うのである。また、新薬の臨床試験の有効対象をアジアの人々へと広げるサポートをすることで、日本の製薬メーカーの新薬開発スピードを上げるとともに、日本の製薬技術で製造した良質な新薬をアジアの新興国でも同時に使用することができるようになる。さらに新興国で最も求められているジェネリック医薬品の製造や拡販をすることもできるのだ。
「医薬も食品と同様に、人間にとっての必需品です。その分野で、日本の技術を海外に向けて発信し、アジアをはじめとする海外からは製薬の基礎的な加工や臨床試験のデータなどで日本にフィードバックする。とてもやりがいのある仕事ですし、是非ともやらなければならない仕事なんです」
メディカル・ヘルスケア事業部で、まさに水を得た魚のように働き始めた田中。2人目の子どもの産休明け早々から海外出張を行うなど、田中は今、これまで以上に精力的にビジネスを展開しようとしている。冒頭のシンガポール出張もそのひとつである。田中は言う。
「正直なところ、子どもたちには少なからず負担をかけていると思います。子どもが小さいときには、母親がずっとそばにいるべきだという考え方があることも分かっています。もちろん子どもや家族が一番大切です。ただ、おこがましい言い方ですが、この日本という豊かな国で私が得た恩恵のお返し先を、家族だけに限定したくないと思っているのです」
先進国に住む自らの恵みを新興国の人々とも共有したいと語る田中。だが、その分、田中は可能なかぎり子どもたちに愛情を注ぐ。深夜便でシンガポールに向かった田中は、翌朝の商談を終えると再び深夜便で帰国した。ゼロ泊3日の出張である。添い寝をしてもらった子どもたちにとって、母親がいないのは翌日のわずか1日だけ。次の日、目覚めると帰国したばかりの母親が家にいるのだ。機内で2泊となる田中だが、子どもたちのことを考えるとそれは苦にはならないという。また、子どもたちには手料理を食べさせたいため、日曜日に1日かけて1週間分の料理を作っておき、毎日食卓に出す。
「冷蔵庫の中は、まるでお惣菜屋さんのようだ」と田中は笑う。さらに毎朝、保育園に預けるとき、迎えに行くとき、必ずぎゅっとハグをすることにしている。
「スキンシップを大切にし、いつも愛情表現をするようにしています。仕事でも同じですが、思ったことをきちんと表現しないと伝わらないし、自分のやりたいことは周囲に理解してもらえるような形で発信していくべきと言われ続けています。子どもに対しても同じかもしれません」
メディカル・ヘルスケアという分野における大きなビジョンの中で目標を高く掲げて仕事を進める田中は、プライベートにも徹底的にこだわりながら、日夜、「良い仕事」を追求する。
「この仕事は子どもたちが大きくなったときに、きっと世の中のためになっていると思いますし、子どもたちの未来を支えるようになっているに違いないと感じます。巡りめぐって子どもたちのためになる。そう考えているからこそ続けられるのかもしれませんね」
こう語ると、田中はその大きく澄んだ瞳でにっこり微笑んだ。
学生へのメッセージ
「とにかくフィールドに限りがないのが三井物産の魅力です。自分でやりたいことを作っていくこと、また、ニーズと現実とのギャップの解決策をビジネスに育てていくのが仕事です。ですから、やりたいことがある人は楽しくて仕方ないと思います。もちろん悩むこともありますが、周囲のみんなが同じように悩み苦しみ、楽しみ、喜ぶ仲間です。三井物産には人を育てる文化があります。世話好きな先輩が多く、後輩を育てるのに手間隙惜しみません。子育てがどんなにたいへんであっても、だから乗り切っていけます。また、乗り切りたいと思うほど、仲間たちとの仕事が楽しいんです」
田中 理帆(たなか・りほ)
1979年東京生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科卒。2004年、三井物産に入社。
『商社』2017年度版より転載。記事内容は2014年取材当時のもの。
取材・文:大坪サトル
撮影:葛西龍