商社の仕事人(2)その1

2019年10月1日

阪和興業 ウエンセスラオ・マンザノ

 

海外の非金属リサイクルビジネス

狙うメキシコ人

 

 

【略歴】
1984年メキシコ・オアハカ生まれ。2011年阪和興業に入社。家族は日本人の妻と一人娘。祖父が家に和室を作るほど日本ファンで、自然と日本に興味を持つようになったという。

 

祖父の葬式で帰国したのが全ての始まり

ウエンセスラオ・マンザノは、阪和興業の同僚たちや取引先の人たちからいつも「ラオさん」と呼ばれている。本名だと長いこともあり、普段から「ラオ」で通していたり、名刺にもあえて「非鉄金属第二部 非鉄金属第四課 ラオ(LAO)」と通称を印刷しているのがその理由だ。フルネームは社内でも案外知られていない。

日本にやって来たのは二十歳のとき。小樽商科大学に進み、大学院でメキシコにおける日本の労働システムについて修士論文をまとめた。日産自動車が世界のマザーファクトリーとなる大規模な工場をメキシコに建設したのを見て、なぜ日本の会社がわざわざ母国のメキシコにと興味を持ったのが論文のテーマを決めた理由だ。

「私が日本に来た理由のひとつは、日本の文化を学びたいという強い思いがあったからです。メキシコでは、かんばん方式に代表される日本的生産方式が導入されるようになり、日本の工業技術やオペレーションのレベルの高さが広く知れ渡ってきています。私は、その技術を下支えする日本の文化に興味を持ったのです。たとえば、日本人は整理整頓を好む国民であると思っています。片やメキシコ人は適当なところがあって、プライベートではそれが開放的でいい面もあるが、それだけでは経済の発展は有り得ません。きちんと働くときは働き、オフには切り換える。そんな日本人を見て、いつも気楽なだけではダメなんだと、多くのメキシコ人が思い始めています」

阪和興業に入社すると、すぐに最初の大仕事を任される機会が訪れた。 きっかけは、可愛がってもらっていた祖父の訃報が故郷のオアハカから届いたことだった。葬儀に参列するため急いで里帰りをしなければならないが、新入社員の私には、肝心の往復の旅費が無かった。困って上司に相談してみると、その上司はさんざん考えた挙句こんな提案をしてきた。

「そういうことなら、向こうで仕事をしてきてくれないか」

「えっ!」とっさにそんな言葉が出た。日本語には自信があったが、聞き間違えたのではないかとラオは耳を疑った。 「飛行機代は会社が出す。その代わり、向こうの工場を何カ所か回って市場調査をしてきてくれないか」というのだ。 そういうことか、とラオは納得すると同時に驚いた。

「入社して三か月で、まだ国内のお客さんのところを一人で回り始めたばかりのときです。そのまま国に帰ってしまおうかなとも思いましたが、その時にはもう日本人の奥さんとこちらで暮らしていましたから、とてもそんなことはできませんでした」

⇒〈その2〉へ続く

 


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