第一実業 原田 剛
激動の東南アジア市場で大活躍、
新ビジネスの構築に挑む
出張を繰り返す旅芸人ビジネスマン
原田の仕事は、電子制御基板を製造するための装置や周辺設備を現地に進出している日系企業や、現地の企業に販売することだった。しかし、シンガポールには大きな量産工場がないので、営業はその周辺のベトナム、マレーシア、タイ、インドネシアなどに1泊2日で出掛けて行って行うというスタイルだった。
「ある時、数えてみたら、シンガポールにある自分のマンションで寝たのは、月のうち多くて半分くらいしかありませんでした。旅芸人か旅がらすみたいな感じですね。でもそんな生活も私は嫌いではなかったですよ。と言うより、むしろ楽しくて充実していました。なぜって、東南アジアの成長を目の当りにして実感できますし、当然やればやるだけ結果が出るマーケットだったので、日本で営業している時よりも達成感が大きかったからです」
入社したての原田は、自らビジネスを展開するというよりも、既に出来上がったビジネスの中で活動していた。先輩が切り開いた仕事を任され売上を遵守するのは、新人にとってはなかなか大変な業務だった。
しかし原田の非凡さは最初から発揮された。営業としてしっかり売上を確保すると同時に、時間ができると設備や装置を納入する現場に出向き、現場の人たちと一緒に工場内を掃除したり、できるだけ話を交わすように努めたのだ。
「売上やミッションをこなすだけで精一杯でしたが、それでももっと役に立つことがあるのではないかといつも考えていました。現場の人たちと話をするとそこの空気感が伝わるし、とにかく見るもの、聞くこと初めてですから、とても新鮮な時間でした。数字だけではわからないビジネスの勉強場です」
実際、まだ若くて、ビジネスに関する知識も、決裁権も、役職も持っていない原田にとっては、それが精一杯のところでもあったのだが。
現場の人たちと話をしていると、彼らの口からいろんな話が出てくる。不満や困っていることが飛び出すこともある。原田は、そんな彼らにできる限り満足してもらおうと思って、部材やメンテ部品を在庫したりして対応した。結果的には、それがビジネスをしっかりと完遂させることにつながった。
商材を持たない商社のビジネスにおいては、顧客との間に人と人との信頼関係を構築することがいかに大事であるかということを、原田は実体験を積み上げることによって学んでいった。特に設備や装置を使う立場の現場の人たちと心を通わせることの重要性を、身をもって知ったのである。第一実業は「現場主義の商社」を会社の理念として謳っている。原田は、新人ながら紛れもなくそれを実践してきたといえる。この姿勢はシンガポールでも貫かれた。
「東南アジアの企業の工場長の方々は、一人で何役もこなさなければならず、いつも多忙を極めています。そこで私は、どうしたら彼らを少しでも楽にしてあげられるかを考え、ローカルのエンジニアたちの力も積極的に活用して、本筋のビジネス以外のいろんなことを進んで引き受けてあげるようにしました。するといつの間にか、彼らにとっては私たちのサポートがなくてはならないものになっていき、『ああ、原田さんがいてくれると、現場がしっかりと回るんで助かります』と言われるようになりました。そうなると、工場長の方々も極力、メインの仕事にプラスしていろんな仕事を私たちに回してくれるようになり、結果的に効率よくビジネスを広げることができるようになりました。また、3年半の間に、そういう良好な関係を築けた企業も何社にも増えていましたから、業績は非常に順調に伸びていたと思います」
自分の考えや経験がシンガポール、東南アジアでも十分通用する、原田はまるで水を得た魚のように生き生きと動き回っていた。自分のビジネス・スタイルというものも確立しつつあったに違いない。仕事が充実し楽しい日々が続いていた。ところが皮肉にも、またしても急な異動話が持ち上がったのである。
⇒〈その3〉へ続く