商社の仕事人(58)その3

2018年06月13日

第一実業 原田 剛

 

激動の東南アジア市場で大活躍、

新ビジネスの構築に挑む

 

 

インドネシアへ赴任し、最大の試練に立たされる

ある日、原田は支店長から、インドネシアのジャカルタ事務所の責任者が帰国することになった、という話を聞かされた。原田には、すぐにピンと来た。支店長は、自分にインドネシアに行ってもらえないか、と暗にお願いしているのではないかと。しかし、原田にはシンガポールでまだやりたいことがたくさんあった。だから、「自分はインドネシアには行きたくない」と先手を打っておいた。

「やっと自分で思い通りに絵を描けるようになったところだったので、それをもっとシステマチックにして、自分が抜けた後も、後任の駐在員や現地のスタッフたちでビジネスを回していけるようにしたい、という強い思いがありました。それに、自分でもまだ次々と面白い展開ができるという確信がありましたから、どうしてももうしばらくはシンガポールで頑張りたかったのです」

しかし、支店長が困っているのを目の当たりにするうちに、原田の気持ちは少しずつ変わっていった。数日後二人はビルの喫煙所でタバコを吸っていた。しばしの沈黙後、原田が口を開いた。

「支店長、僕がインドネシアに行きます」

支店長の顔が一瞬ほころんだ。人に頼られると断れない、原田の最大の長所であり、欠点でもある。自ら重荷を背負うことになるのだから。

しかし〝行くことに意味があるのではない、成果を上げることに意味がある〟のである。原田はまたしても重大な決意をしたことになる。

とは言うものの、原田は気が重かった。当時のインドネシアは治安が悪く、爆弾テロが頻発していたからだ。現に、引き継ぎも兼ねて出張ベースで出かけたその日、オーストラリア大使館で爆弾テロが起きたのである。その様子をテレビのニュースで見た原田は、「ここに赴任するのか、本当に大丈夫だろうか」とさすがに不安な気持ちが先行した。信頼できる友人にその話をすると、〝そんな危険なところに行くな〟という言葉を期待していたのだが、「その若さで、それだけの責任を持たされるんだから、すごいことじゃないか」と励まされた。〝そうだ、こんな経験したくてもできない、やってみるか〟原田の腹は固まっていった。

「まだ若い今のうちなら、失敗してもリカバリーは利くだろうし、給料をもらいながらそういう経験ができるのなら、前倒しで早めに経験しておくのも損なことじゃないな、と思えるようになってきたのです。ですから、思い切って新たな一歩を踏み出すことにしました」

ジャカルタ事務所は、一人事務所みたいなものだった。原田の他には、シンガポールから出張ベースでやって来る後輩駐在員と現地のスタッフが2、3人いるだけだった。その時、原田は30歳、後輩駐在員は29歳だった。まだ若い二人だったが、インドネシアは成長著しく、GDPが10%位の成長率で伸びている時期だったので、それに乗って会社の期待に応えようと意気込んだ。だが、意に反して思うように数字は伸びない。原田はあせった。入社以来初めて、大きな試練に立っていた。

「今までは一営業マンですから、売り上げを上げていれば良かったんですが、今度は責任者ですから、自分でしっかりと営業をして、かつ自分で事務所を回していかなければいけないんです。もちろん、自分の生活もさることながら、縁があって事務所で働いてくれている現地の従業員たちにも少しでもいい生活ができるようにしてあげたい。そのためには、とにかく頑張るしかありませんでしたが、時には現地の従業員と衝突することもあり、どうしたらいいのかと徹夜で考え込んだりすることもありました」

そこには、がむしゃらに外を回って数字を稼いでいた今までの原田とは違う姿があった。若くして海外の事務所所長となり、数字以外の困難も次々と襲ってくる。最初に背負った重荷は、原田の予想をはるかに超えるほど大きかったが、持ち前の意志の強さと誠実さでこれを軽くしていった。この試練が、原田の人間力を一周りも二周りも大きくさせたことは言うまでもない。実際、5年目には、現地の従業員を13人に、駐在員も5名にまで増やし、事務所を現地法人収益に切り替えた。収益は、赴任当時の5倍になっていた。

⇒〈その4〉へ続く

 


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