第一実業 原田 剛
激動の東南アジア市場で大活躍、
新ビジネスの構築に挑む
技術コンサルにもなれば、経営コンサルにだってなる
ジャカルタでもやはり成功の要因となったのは、信頼関係の構築だった。インドネシアに人脈がなかった原田は、日本人のコミュニティに積極的に参加した。そこには、同じ釜の飯を食っているという雰囲気があるので、自分の知らないことは、知っている人に訊くという形で、原田はネットワークを広げて行った。
「海外でのビジネスの面白さは、会社の看板ではなくて、あくまでも担当者の人間的な魅力がものを言うことです。つまり、お客さんは第一実業と付き合っているのではなく、原田という人間と付き合っているのです。もちろん、こちらも人間を見誤れば大きな失敗をすることにもなります。ですから、間違いに気付いたら、すぐに軌道修正することを心掛けました」
もちろん、現地スタッフとも分け隔てなく付き合った。イスラム教徒もいれば、クリスチャンも、仏教徒もいたし、イスラム教徒は金曜日には必ずメッカの方向を向いて礼拝するし、1か月間の断食も行う。文化の違いを受け入れ、それも活かさなければならない。
「現地企業の現場を担当する現地の人たちが、どういう悩みを持っているかということは、事務所の現地スタッフに訊くのが一番ですから、そういう付き合いも非常に大事です。そうして得た情報を基に、現地の現場担当者が使いやすいように、装置をちょっと加工して持って行ったりすると、現場担当者や日本人の工場長が喜んでくれるんです。私は、それが私たちの大事な役割の一つではないか、と思っています」
また、原田は決して自分たちだけが儲けようとは考えなかった。自分たちが付き合った企業が、勝ち組に回ってくれることを常に理想としていた。たとえば、工場を拡張させてやろうとか、売り上げを倍にしてやろう等と考えながら、活動を展開していた。その典型的な成功例が、ある精密機械メーカーの支社との付き合いのケースだった。
「私は、現地スタッフが拾い集めて来るさまざまな情報を基に、ちょっとおこがましい言い方をすれば、社長さんにとっての経営コンサルタントであり、技術コンサルタントであるという意識を持って、いろんなアドバイスをさせてもらいました。それだけお客様の生産形態を理解しているという自負もありました。そのことを社長さんが高く評価し、私を信頼してくれて、ある時、設備の選定の担当者にこう言ったのです。『次に何を買うのかは、原田さんと話し合って決めるように』と。それは言い換えれば、設備はすべて私を通して買うように、ということですから、それを聞いた時は、本当に嬉しかったし、自分がやって来たことに間違いはなかったと確信できました」
人間というものは、ともすれば自分の利益だけを追求しがちなものだが、原田は顧客企業との間にあくまでも「運命共同体」、「Win・Win」の関係を築くことに努め、結果的には、そのことが成功へと導いて行ったのである。そして原田は、10年間の海外駐在員としての生活にピリオドを打ち、本社に戻って来た。
⇒〈その5〉へ続く