蝶理 高山昌樹
日本製品にこだわり、
ブラジルでのビジネス拡大に挑む
初めてのブラジルで、ビジネスの難しさを痛感
夢と希望を持って異動した高山だったが、しばらくは繊維と機械のビジネスの違いに戸惑うばかりの毎日が続いた。繊維のビジネスでは、契約書はあっても、阿吽の呼吸で通じるところがある。それに対して、機械のビジネスでは白黒がはっきりしているし、きっちりとプロセスを踏んでいかないといけない。さらに、顧客も国内と海外という違いがあるし、国が違えばもちろん文化も違う。高山は、そのことを初めてブラジルに行った時に痛感させられる。
アメリカ経由で30時間掛けてやっとブラジルに到着した。当時はブラジル店が閉鎖された後だったので、スタッフの出迎えを受けるというような晴れがましいことは一切なかった。しかし、学生時代にメキシコやプエルトリコに行ったことがあり、中南米人や中南米の文化に関する知識も持っていた高山には寂しさや孤独感はなかった。
「さあ、やるぞ! こここそ、俺の新天地なんだ!」
意気込む高山にとって唯一の助っ人は、通訳をお願いしている、かつてブラジル店で働いていた現地スタッフ一人だけだった。彼にあらかじめ訪問したい企業にアポイントを取ってもらい、サンパウロとリオデジャネイロを中心にメーカーのカタログを持って出掛けるというのが高山のビジネス・スタイルだった。その中で、高山はブラジルでビジネスをする上での重要なポイントを自分なりに身に付けていった。
「ブラジルにはブラジリアン・タイムというのがあって、『明日までにやっておきます』と言っても、明後日、明々後日と平気で延ばしていくし、『1か月で決めます』と言っても、2か月後、3か月後、下手すると半年経っても決まらなかったりします。ですから、そこをどううまく突っついて、こっちのペースに引き摺り込むかがポイントになります。とにかく、彼らは基本的にきっちりしているようで、実はきっちりしていないところがあるし、さらに彼らには楽観的なところがあり、『仕事は楽しむためにやる』というのが一般的な考え方で、週末や休日は思いっ切りエンジョイします。そういうこともちゃんと頭に入れておかなければなりませんでした」
しかし、ブラジルでのビジネスの難しさは、どうやらそういうところだけにあるのではないようだ。今から十数年ほど前、ブラジルの経済がものすごく悪化した時に、ブラジルに進出していた日本のメーカーが一斉に撤退してしまった。ところが、欧米のメーカーは撤退しなかった。そのために、ブラジルでは欧米のメーカーの力が強く、日本のメーカーの力は弱い。日本はブラジルが大変なときに逃げてしまったのだから当然だ。とは言え、中には確かに例外もある。
「たとえばブラジルにおけるエンジンなどを造る業界は、日本の自動車メーカーが以前から工場を作り、現地で生産をしているから今も残っているわけです。ここでは、日本人や日本のメーカーにある程度の信頼を置いています。そういう意味では、中国や韓国のメーカーが新たに入るのと、日本のメーカーが入るのとでは大きな差があります」
ブラジルの情勢やビジネス・スタイルを研究したが、高山は結局、建設機械に関しては成果を上げることができなかった。それが現実の厳しさである。
⇒〈その4〉へ続く