蝶理 高山昌樹
日本製品にこだわり、
ブラジルでのビジネス拡大に挑む
高山ワールドで、「その時」に向けて努力の毎日
FA宣言して現部署に異動した高山は、これまで確固たる実績を上げたとは言えないようだ。「高山は、今何をやっているんだ」「ブラジルで何かやってるようだけどどうなんだ」などという話がそろそろ周囲で密かに交わされるようになって来ているのではないかと懸念される。しかし、高山は至って平気な様子だ。
「僕は一応、社内の開発案件に取り組んでいることにはなっていますが、特別にアピールもしていないので、スポットライトを浴びているわけでもありません。僕が、ブラジルで何をやっているのかはほとんど知られていないはずです。上司からも『高山ワールドを勝手に作ってる』と思われています。だけど、僕はそれで結構だと思っています。共有すべきところはきちんと共有していますから、あとは好きにやらせてもらっています。問題は、いつまで結果を出すのを待ってもらえるかです。勝算はありますので、大丈夫です」
高山はいかにも意気軒昂であり、自信を持って仕事を推進している。蝶理スピリッツというものがあるが、そこには〝常に新しい時代に挑み続ける『蝶』戦者魂〟という言葉が刻まれている。高山は今まさにそれを心に刻み込んでいる。
「今、機械・機能材料部は化学品と一緒に一つの部門に括られていますが、もともとは機械部門として独立した部門でした。それが、経営が悪化した時に縮小されて今の形態になったんです。ですから、みんなで部を大きくし、やがては再び独立した部門にしたいと思っています。すでにいろんな業界に入り込んで、積極的に色々なことをやっているので、どれが爆発するかわからないという状況です。そういう可能性を秘めた部ですから、ぜひとも部門に昇格したいと思います。それも僕の一つの夢です」
中国に強い蝶理は、中国のメーカーから製品を輸入し、それをさらに海外に輸出するという三国間貿易も行っている。しかし高山は、日本の商社である以上、あくまでも日本メーカーの製品を輸出することにこだわっている。
「日本のメーカーは世界的に見ても、まだ技術的に素晴らしいものを持っています。それが世界で売れていないのはおかしいと思います。日本の商社である以上は、日本のメーカーの製品を担いで世界にどんどん売っていくべきだ、とずっと考えていました。そしてあの東日本大震災です。復興に向けて『日本は頑張っているぞ!』ということを世界にアピールしたり、何らかの形で貢献できたらいいな、と思っているところです」
思えば、高山は大阪への再進出から始まり、ブラジル拠点の再開、機械部門の再確立、そして日本の復興へと、再興に関わる仕事を継続して来た。絶えず何かを背負って自らの信念を貫く、そこにこそ高山の男儀がある、商社パーソンとしての誇りがあるのだ。
その誇りを胸に、間もなくまたブラジルに飛び立つことになっている。今年3度目である。30時間の長旅を、熱い思いを抱いた高山は心待ちにしているところである。
学生へのメッセージ
「学生の皆さんには何よりもまず、自己分析をして、自分がどんな人間であり、どういう業界に行った方がいいのかを把握して欲しいと思います。また、社会というのは皆さんが思っている以上に厳しいところなので、難しいことかもしれないけど、どんな状況にも耐えられるだけの力をできるだけ身に付けて欲しい。そのためには、親から借金してでも、自分がやりたいと思っているいろいろなことをしたほうがいいと思います。学生時代でなければできないことは一杯ありますから、社会人になってから後悔しないように、チャレンジしてください。就職活動もその一つですから、一生懸命に取り組んでください」
高山昌樹(たかやま・まさき)
1982年、山梨県生まれ。獨協大学外国語学部(現:国際教養学部)卒。2006年入社。大学3年終了後、1年間休学してアメリカへ留学。留学先で商社マンと知り合い、商社志向となる。子供の頃から高校時代を通して野球に熱中。大学時代は、アルバイトをしてお金を貯めて、休みになるとアメリカやメキシコなどへ旅行に出掛ける。好きな言葉は「臨機応変」。
『商社』2013年度版より転載。記事内容は2011年取材当時のもの。
写真:葛西龍