商社の仕事人(61)その1

2018年08月6日

日立ハイテクノロジーズ 相内尋也

 

日本の携帯電話の

アメリカ市場への普及に全力投球

 

 

【略歴】
相内尋也(あいうち・ひろや)
1981年神奈川県生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科卒。2007年入社。

 

再びのニューヨーク。今度は駐在員としての赴任

2011年10月1日、入社5年目の相内尋也は、ニューヨークに向かう飛行機に搭乗していた。日立ハイテクノロジーズ・アメリカのニューヨーク事務所に駐在員として赴任するためだ。思えば、海外研修制度を利用したニューヨーク事務所での1年間の駐在を終えて帰国してから、まだ半年しか経っていなかった。その慌ただしさを、家族には申し訳ないと思いつつも、昂ぶる気持ちを抑えられずにいた。

アメリカに、ニューヨークに思いを馳せながら、「ビジネスをもっと大きくしてみせる」と決意を新たにしていた。

 

アメリカにおける携帯電話の市場に何としてでも風穴を開ける

相内がアメリカ駐在にこだわるのには、理由があった。英語をもっと完璧なものにしたいというのも理由の一つだが、それが本当の理由ではない。実は、使命感にも似た熱い思いがあった。

相内は入社2年目から、日本の携帯電話メーカーがアメリカ市場向けに製造する携帯電話の開発サポートや拡販業務に携わっていた。この携帯電話というのは、頑丈さを売りとする特殊な携帯電話である。

日本の携帯メーカーは、国内では市場をにぎわしているが、アメリカ市場においては存在感をほとんど示すことができていない。相内には、そんな屈辱的な状況を打破したい、という強い思いがあった。そして、その切り札として期待していたのが、他でもなくこの特殊仕様の携帯電話であり、中でもひとしお思い入れが強かったのが同仕様のスマートフォンだったのだ。

「この特殊仕様のスマートフォンは確かにユーザーが限定されるので、普通の携帯電話に比べれば市場規模は小さいですが、需要はあり確実に売れます。しかも、日本メーカーの製品はデザイン面で非常に優れているので、アメリカの市場でならきっと突破口を開くことができるはずです。私はそう信じて、何としてでもこのビジネスをもっと大きくしたいと思っていました。そして、このビジネスが大きくなれば、アメリカの色々な通信会社が日本の携帯電話にもっと注目してくれるようになるはずです。私は、こんな展開を考えていました」

そんな思いを実現するためには、市場から遠く離れた日本にいては駄目だ。やはり市場の中に身を置かなければならない。消費者の生の声を聞いて、マーケットのトレンドを直接感じたい、相内は1日も早くアメリカに行きたかった。

日立ハイテクノロジーズには海外研修制度がある。相内は早速それに応募し、見事パスすることができた。とりあえず1年間だけではあったが、アメリカに駐在することが可能になったのだ。名目は〝研修〟であったが、相内にはそんな意識はまるでない。あくまでも日本でしていた仕事の続きを、アメリカで発展させるという思いだった。最初から完全なビジネス・モードでのスタートである。

だが、現実はそんなに甘くはない。期待していた特殊スマートフォンは、相内が研修期間を終えて帰国してから、何とか市場に投入されたものの、販売台数は相内の期待値には届かなかった。

「私は日本の携帯電話メーカーのエンジニアを代表して、アメリカの通信会社との間で話をまとめる役を担う、責任のあるポジションにいたのですが、残念ながら期待通りの成果を出すことができませんでした。思いとは裏腹に、自分の非力さを認めざるを得ませんでした」

相内は、その悔しさをいつまでも忘れることができなかった。その無念さこそが今、相内を再びアメリカへと向かわせているのだ。

⇒〈その2〉へ続く

 


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