岩谷産業 河村恵美可
その“直感力”が
未来を創るエネルギーになる!
「学ばせてもらった」上海駐在
1972年、中国の「友好商社」に指定された岩谷産業は中国貿易を加速させ、現在では中国各地に現地法人や駐在事務所を含めて29の拠点を持っている。これは「まるで岩谷産業の事業分野がまるごと中国に来ているようなもの」だという。河村にとっては、この上海赴任が初めての中国入国。また、中国語も産業ガスという商材も、商社パーソンとしての営業現場も、すべてが初めての経験だった。
「私より以前に海外駐在した女性はシンガポールに赴任した1人だけ。私は“你好(ニーハオ)”しか言えませんでしたが、なぜか中国語が話せると思われていたようで(笑)。また、中国は岩谷産業のビジネスの規模も収益も今後の伸びも大きい地域ですから、営業を経験するならここだろうということになったようです」
ただ、もう1つ、河村を上海駐在に向かわせた大きな理由があった。
「あとから言われたのですが、どんな環境でも“河村なら何とかなるだろう”って(笑)。実際、行ったらやるしかないわけですし、ある意味、これが入社前に考えていた“チャンス”の1つだと思います」
上海での河村の仕事は日系企業の新規開拓だった。中国に進出している日系企業一覧という分厚い資料の中から産業ガスを使いそうな工場を持つ会社をリストアップし、まずは電話営業をかけ、相手の了解を得たら提案に向かう。日系企業だからと言って、電話に出てくるのが日本人だとは限らない。というよりも日本人であることは、ほぼない。河村は電話営業で使う基本的な中国語、例えば「私は岩谷産業の河村です。産業ガスの提案をしたいのですが、日本人の方はいらっしゃいますか」などの中国語のフレーズを徹底的に復唱し、頭に叩き込んでから電話をかけ続けた。受話器の向こうでは、快く日本人に取り次いでくれる場合もあったが、途中で電話を切られたり、大声で何か叫ばれたりすることも少なくなかった。しかし、河村はめげずに電話をかけ続けた。
上海岩谷有限公司には80人ほどの社員が働いていたが、日本から赴任していたのは上海岩谷社長である中国総代表を含めて男性社員が10人。あとは現地スタッフだった。当初、商材の知識ゼロ、中国語ゼロ、営業経験ゼロの河村の駐在に全員驚きを隠せなかった。“新”戦力は“即”戦力であってほしいと考えるのは、どの企業でも同じこと。しかも、中国における初の女性駐在員に対する戸惑いもあった。河村もそれは肌で感じていた。そこで早く馴染もうと、現地の中国語の学校に通い、皆目分からなかった産業ガスについても勉強を始めた。また、積極的に現地スタッフの輪の中に入っていくようにした。
「なるべく現地スタッフと同じ目線で仕事をするように心がけました。休日にも一緒に遊びに行ったりして親しい関係になると、逆に親身になって世話を焼いてくれるんです。みんな日本語が上手なので会話には不自由しなかったのですが、やはり中国語を話せないと仲間意識も生まれないので、かなり勉強しました」
こうして、河村は努力と人懐っこい性格から、現地スタッフの人気を集めた。特に女性スタッフから「日本人女性が来てくれてうれしい」「何でも相談できる」と人気が高かった。
一方、仕事に関しては、中国総代表から「自分で手と足と口を動かさないと営業は学べない」と厳しく教えられ、とにかく現場に出向いて顧客と話をするなかで学んだ。技術や産業ガスの知識については担当の男性社員に、また営業方法についての疑問は遠慮することなく、中国総代表に質問をした。中国総代表も丁寧に1つひとつ諭すようにビジネスの手ほどきをしてくれた。その甲斐もあって、1000社電話して3社受注できればいいほうと言われるなか、河村は駐在まもなく数社と小口の契約を結ぶ。だが、河村のビジネスは、それだけに留まらなかった。ある日、河村は“江蘇省にあるアクリル系粘着材を製造する日系企業が工場を新設しようと計画している”という情報を聞きつけた。
「工場の新設となれば、ガスプラント建設から、そのプラントに産業ガスを恒常的に納入できる……行くしかない!」
ピンと来た河村は、その日から毎月少なくとも1回、新幹線CRHで江蘇省の日系企業へと通い始める。そして冒頭で述べたように、1年半かけてようやく成約へとこぎ着けたのだ。
日系企業の社長室――。
中国総代表立ち会いの下、まさしく“ゼロ”の状態から河村が立ち上げた、岩谷産業の産業ガスタンク建設と産業ガス等納入に関する契約書が無事、調印を終えた。この瞬間のことを河村は今も忘れられないという。
「初めて日系企業を訪ねたときは、何を聞かれてもきちんと答えられませんでした。それが何度も通い詰めるうち、様々な要望に応えられるようになり、“すごく成長したね、頑張ったね、よかったよ”と、先方の社長にも一緒になって喜んでもらえたんです。それは、私の人生でも最高に印象的な瞬間でした」
だが“印象的”だったのは河村だけではなかった。中国総代表にとっても、この契約は忘れられないものになった。実は、河村の上海駐在は、東京での上司だった経営企画部の部長からの強い依頼があって実現したものだった。当初、「男性でないと中国でガスの営業はできない」と難色を示していた中国総代表だったが、将来を見据え、岩谷産業で女性が活躍できる舞台を増やしたいと考えていること、また、河村はその期待に充分応えられる人物であることを挙げて、部長から説得された末に引き受けた駐在だった。その河村が予想もしない見事なビジネスを立ち上げたのである。契約後、中国総代表は河村に向かってこう言った。
「この年齢になって、仕事に性別は関係ないことが初めて分かった。産業ガスの営業が女性でもできることを学ばせてもらって、本当にありがとう」
⇒〈その5〉へ続く