三菱商事 鐵屋圭一
未来は、
足元の一歩から始まる
ポジティブ・サイクルへの一歩
鐵屋が配属されたのは、機械グループの船舶・宇宙航空事業本部船舶ユニット(現在は船舶部)。その中でも、鐵屋の所属する国内・アジアチームは、主に韓国や台湾などのアジアの船会社と日本の造船所や船主の間に入り、船を保有したい船会社と、船を建造したい造船所、船をリースしたい船主の三者の需要と供給を、場合によっては三菱商事が融資の手配、保有・運航事業といった機能も提供することでつなぎ合わせ、その契約形態・金額に応じて手数料・配当収益を取るという、ある意味、商社の伝統的なビジネスを行う部署である。
当初の期待とは異なり、鐵屋の配属先は極めてドメスティックな現場だった。鐵屋が入社した2006年は、世界同時不況の発端となるリーマンショックの二年前で、好景気の真っ只中。「景気と船の需要は連動する」と言われるとおり、物流を増やしていくために大量輸送手段である船舶は必需品であり、船会社も造船所も船主も、金額の折り合いさえつけばすぐにでも契約書にサインをしようという空気に満ちていた。
そんな中、鐵屋は先輩社員とともに、毎晩のように取引先と飲み歩いた。四月に入社し、新入社員研修を2か月間受け、その後、1か月間、台湾で中国語の語学研修を受けてから配属された船舶ユニット。毎晩飲み歩いて売上も達成され、ビジネス上も何ら問題はない。ごく普通の営業担当者であれば、それで十分満足なはずだ。しかし、「何かが違う」と鐵屋は感じていた。
「取引先に行って、最初の30分ほど世間話をして、ほんのちょっと金額の話をしたあとで、〝今夜、空いてる?〟と尋ねられ、飲みに行く。飲みながら他愛のない話をして、またちょっとだけ仕事の話をして二次会に行って帰って寝る。これっぽっちも楽しくない。これが日本流〝ビジネス〟なのかなと思いました」
鐵屋の考えていた商社ビジネスとは、グローバル、且つ知的で、ロジックに長けた緻密な交渉や手法の結果として手に入れることができる、あるいは達成することができる崇高なものだった。その思いはいつしか戸惑いに変わり、ある日、教育係でもあった六歳年上の先輩社員に向かって不満を爆発させた。
「私は今の仕事のやり方に違和感を持っています。個人として付加価値を提供できているとは思えないし、社会人として成長している機会も実感も全くない。もしかしたら私自身が三菱商事に合わないのかもしれませんし、少なくともこの分野の仕事は合わないと思います」
この言葉を聞いた先輩社員は、鐵屋の顔をじっと見つめ、強い口調でこう言った。
「お前は何も分かってない!」
そして、鐵屋に言い聞かせるかのように、ゆっくりと言葉を続けた。
「お前はたしかに大学もすごい。勉強もできる。英語は抜群だ。俺には到底太刀打ちできないキャリアを持っている。でも、お前は仕事のことは何も分かってない」
「分かってないって、どういうことですか?」
つっかかる鐵屋に、逆に先輩社員が続けざまに問いかける。
「じゃあ、お前はあのとき、俺が取引先の社長とどんな駆け引きをしていたか分かるか? なぜ俺があえてあの場で金額についてそれ以上プッシュせずに引いたのか分かるか? なぜ翌日に話題を残しておこうとしたのか? なぜ船価について全く触れずに、ただ飲んだだけだったのか分かるか? そういうことを一つでも分かっていたのか?」
鐵屋は言葉に窮した。先輩はそんな鐵屋に熱気をはらんだ言葉を浴びせる。
「お前は全然分かろうとしない。本当の意味、個別の深い知識を理解しようとしない。造船所の社長も船主さんも、その社員たちもあの場所にいるみんなそれを理解している。全員が分かっているからこそ、わずかな会話、ちょっとした言葉でもすべて通じている。通じていないのはお前だけ。お前だけが分かってない。分かるか、鐵屋。ただみんなで楽しくお酒を飲んでいるわけじゃないんだぞ!」
先輩社員の剣幕に、鐵屋はぐっと唇を嚙みしめた。「たしかに自信過剰だったかもしれない」と鐵屋は思った。学生時代の勉強だけで、何でも自分で〝最適解〟を導き出せると過信していた。しかし、現実のビジネスシーンは机上の理論では進まないし、それでは相手にもされない。また、「今はあのときと同じなんだ」とも思った。日本に帰ってきたとき、イギリスに渡ったときと同じ、クラス全員の中の「底辺」にいるのだ、と。どんなに大学で勉強ができたとしても、新入社員は新入社員。1年目の社員と2年目の社員ではビジネスの現場では天と地ほどの経験差がある。
翌日から、鐵屋は一つ一つ、コツコツと目の前にある仕事をすべて理解しようと心がけた。鐵屋は気づいたのだ。実はそれこそが、自分の一番の強みだったということを。
「まず契約書の全情報を理解しようと思いました。そこに記載されている内容を読み込むのはもちろん、過去に起こったことと今現実に起こっていること、そして商習慣の違いや記載されている数字の捉え方、採算の見方など、すべてを自分の知見として活用できる水準にまで理解を深めようと努めました。契約書には内容合意に至るまでの交渉経緯までは記載されませんが、実はこれが一番重要だったりします。取引先とは金額のみならず、あらゆる面で都度Pros/Consの整理を行った上で交渉を行っており、前回OKしてくれたから今回も同じリスクを負担してくれるだろうといった虫の良い話は通用しません。相手のニーズを明確に理解し今度はそのリスクを誰が持つのか。他の取引先か、あるいは我々が取るべきなのか…。そんな取引上の履歴を、社内報告書などの紙に残されたものだけでなく、当時の担当者に尋ねて歩いたりしました」
こうして、2年目を迎えた鐵屋は1週間先、1か月先までに何を調べて何を理解すべきか、自分に目標を課した。そして小さな達成感、小さな失敗、小さな感謝を繰り返すことで、地に足の着いた「生きた知見」を身にまとうようになってきた。すると、それまで曖昧模糊としていた取引先と先輩社員の謎の会話が紐解けてきた。仕事の内容も理解でき、取引先の社長の言葉の真意も分かる。言葉を返すこともできるようになる。すべてが良い方向に回転を始めたのだ。
「自分の武器となる知識、ノウハウが増えれば増えるほど、日々の会話・業務の幅・深みも増してきて、もっと勉強してみようという気持ちになります。そうするとそれに派生してさらに新しい仕事の機会が出て来る。あとはその繰り返しです。いわゆるポジティブ・サイクルに入ったのですが、それも最初の一歩があればこそ。一歩一歩の積み重ねがなければ進んでいきません。私を叱ってくれたその先輩には本当に感謝しています。兄貴分といった方で、今でも…というより、今こそ尊敬しています」
ようやく鐵屋の商社パーソン人生は順調に歩み始めた。そして入社2年目の終盤、その目の前に、さらなる飛躍を遂げるための機会が訪れようとしていた。
⇒〈その4〉へ続く