三菱商事 鐵屋圭一
未来は、
足元の一歩から始まる
満身創痍の契約セレモニー
船舶のビジネスにおいて、重要なセレモニーが二つある。一つは造船の契約調印式、もう一つは完成した船舶の命名・引渡式だ。船主と造船所、船会社の間を取り持つ商社としては、建造期間に2〜3年を要し、竣工後は10年以上もの期間運航される船を記念するイベントであり、このセレモニーのアレンジは重要な仕事の一つである。プロジェクトの主要メンバーが一堂に会す場において出席者には心から楽しみ、心から満足頂けるものでなければならないからだ。セレモニー中に新規案件が形になることも往々にしてあり、あらゆる局面において細かな気配りができるのが信頼に値するパートナーである「商社」という企業の強みなのである。
鐵屋は、入社2年目も終わろうとする2008年の早春に、インドネシアの船主と日本の造船所との20億円弱という契約を無事調印へと結びつけた。鐵屋が行った初めての本格的な契約だった。
「すでに内定はしていたのですが、そこから契約締結までの二か月間、私が実質的にすべてを任され、船主さんや造船所の担当者と侃々諤々やりあって契約書を作り上げました。ちなみに、そんな白熱した議論をしつつも、さて、どこで契約をしましょうかと、一転、調印式の会場や演出などについて楽しげに話し合うんです。不思議でしたね(笑)」
契約式は、インドネシアの船主が造船所の社長や担当者をバリ島に招待して行うことになった。契約の前日にバリ島に移動し、翌日、ゴルフをしてから契約書に調印し、記念パーティーを行うという段取りだ。
「初めての契約調印、且つ2か月間という短期間で、行ったこともないバリ島での調印式を無事成功まで導かなければいけないというプレッシャーの中で、毎日が緊張の連続でした。寝ても覚めても仕事のことばかり考えていましたね」
初めて契約調印式を仕切る鐵屋は一足早くバリ島に入り、準備を整えていた。契約に際しては全員がシャンパンで乾杯することにしていたが、イスラム国でもあるインドネシアはお酒の種類が少ないため、日本から訪れるお客様にも一人一本、同じ銘柄のシャンパンを渡して持ち込んでもらう手筈になっていた。
契約に関する事前準備が完了し、鐵屋には、その日最後の仕事として日本から深夜便でやってくるお客様を出迎えて、ホテルにチェックインするという仕事があった。が、事前準備の終わった船主関係者に誘われ、前祝いだとウイスキーでの乾杯大会に突入。何とか抜け出し空港でお客様を出迎えホテルの部屋まで荷物を運んだ鐵屋は、片手にお客様に持ち込んでもらったシャンパンのボトルを抱えていた。ようやく一段落と思ったそのとき、酔いの影響か、ほっとしたせいか、鐵屋は何かにつまずき、ドタッと前方に倒れてしまう。ホテルマンたちが駆け寄ると、鐵屋は大丈夫とばかりに懐に抱えた無傷のボトルを差し上げてみせたが、柱の角で顔を直撃し、額には血がにじんでいた。だが、「大丈夫です。明日の朝は8時にお迎えにあがります」と言い残し、鐵屋はそのまま自室に下がったのだった。
翌朝、目覚めた鐵屋は驚いた。頭ががんがんする上に、なんと枕が真っ赤に染まっていたのである。よく見ると眉毛のあたりがぱっくりと割れている。あわててフロントに電話をし、現地の病院から医者を呼んでもらった。
「最初は何が起きたのかさっぱり分かりませんでした。結局、ホテルのロビーで眉毛を剃り、その場で麻酔を打って4針縫うことになりました(笑)」
名誉の傷を負った鐵屋だったが、シャンパンは皆に行き渡り、契約セレモニーは無事に終了。鐵屋自身も「やり切った」と心の底から言えるほど、満足感、達成感を感じた。そして、このセレモニーを終えて鐵屋はさらに一歩、商社パーソンの階段を上がったのだった。
⇒〈その5〉へ続く