豊島 市町 紀元
気がつくと、
ライバルはすべて消えていた
それは間違いなく、豊島だ!
市町が豊島に入社したのは、今から15年前の2000年。まだ就職氷河期が続いているころだった。
慶應義塾大学の看板学部、経済学部で学んだ市町は、学生時代、学園祭や卒業式後の園遊会の企画運営などを通して、卒業生を中心に幅広いジャンルの社会人や企業と交流をしてきた。そして迎えた就職活動。イベント実行委員として手腕を発揮した市町の就活は、周囲の学生たちと違い、順風満帆。誰もが知っている有名マスコミ、広告代理店、総合商社など、大手企業から続々と内定を得ていた。
そんなある日のこと、市町は郵便受けから飛び出すほど巨大なDMを目にした。差し出し人は「豊島株式会社人事部」。一次面接への案内状だった。日程を見ると、ちょうど体が空いている日がある。
「こんなどでかいDMを作る会社、面白そうだな。試しに受けてみるか」
軽い気持ちで申し込むと、すぐに返事がきた。一次面接とグループディスカッションに続いて適性試験と二次面接、そして最終面接もとんとん拍子で通って、いつものように内定が出た。だが、志望順位が高いわけではない市町は判断を保留していた。そんな市町の心を察し、一次面接を行った人事課長が名古屋本社から二度三度、四度五度と会いにやってきた。
「市町君、ぜひ豊島に入ってほしい。君の性格、バイタリティー、能力のすべてが、この会社に最も向いている。この会社でこそ君は輝くことができる。君が来るべき会社は、この豊島なんだ」
人事課長は熱く、熱く語った。それは市町の心を次第に揺さぶり始めた。
「最初は〝何言ってんだ、このおっさん〟と思っていました。そのころは正直言って、華やかな舞台で活躍することしか考えていませんでしたから。すでに内定の出ていた他社に行くつもりでしたし。ただ、三顧の礼と言うんでしょうか。こんな一学生に対して、新幹線に乗って時間とお金を費やして何度も足を運んでくれる。そんな会社、そんな人は、他の会社にはまったくなかった。豊島だけでした」
とはいえ、結局、市町は他社を選び、内定式に出席した。そして式がひと通り終わってから、市町は思うところあって豊島の人事課長に電話を入れた。
「あの…すみません、僕、今から豊島に入れてもらえませんか」
この言葉に人事課長も驚いた。てっきり駄目だと思っていた市町から入社希望の言葉を聞いたのである。折しもその日、豊島では内定者バス旅行の真っ最中。車内で電話を受けた人事課長は「ちょっと待て、専務に確認する」と伝え、その承諾を得たうえで晴れて市町の豊島入社が許されたのである。市町は言う。
「内定式にいた他社の同期たちを見て、なんだかこの会社、普通過ぎるなと思ったんです。一方、豊島の同期のことも知っていて、みんな面白そうなやつらでした。人事課長の熱意といい、同期の面々といい、やはり自分に合っているのは豊島だなと確信したんです」
就職先を突然変更したことについて、父親は「お前、あほじゃないか?」と怒ったという。だが、市町はもう迷わなかった。自分が生きる道は自分で決める。会社に入って何ができるのか。自分を高めていけるのはどこか。それは間違いなく、豊島だと。
⇒〈その3〉へ続く