豊島 市町 紀元
気がつくと、
ライバルはすべて消えていた
歯車はゆっくりと回り始めた!
大手アパレルメーカーを担当して1年、ぽつりぽつりと市町の提案が形となりつつあった。そして3年目に入ると、商い金額が目に見えて増加し始めた。それは市町のスピード、つまり対応力の早さが評価されただけではなかった。市町は、メーカーを訪れるとデザイナーをはじめ、企画・販売に携わるスタッフ全員と雑談をする。その中に次のニーズが潜んでいるからだ。たとえば美食好きな市町がこう切り出す。
「最近どうですか? 今度、飯行きましょうよ。ミシュラン一つ星のおいしい店があるんですよ」
「おっ、いいねえ。そう言えば、あのとき納品してもらった商品が売れてなくてね」
「えっ? なんでですか?」
「なんだか、しわになっちゃってさ…」
この他愛ないひと言から、市町は次回、しわになりにくい生地を探して提案する。このように雑談力を駆使し、相手のメリットを考え細やかな心配りを欠かさない姿勢がデザイナーの心を捉えた理由でもある。市町が担当するのは日本有数のアパレルメーカーだけあって展開するブランド数は多く、一つのブランドで評判がいいと、他のブランドのデザイナーからも次々と声をかけられるようになる。さらに新しいブランドを立ち上げる際にも、「提案に来ないか」と他社に先駆けて相談されるようになる。そのうち市町はすべてのブランドに顔を出すようになった。まさに一点突破、全面展開である。しかも、評判を聞きつけた他のメーカーからも市町に声がかかるようになる。評判が評判を生み、市町は引っ張りだことなった。
「僕はその大手アパレルメーカーさんに育ててもらったんだと思います。生地を見る目、色合い、価格、クォリティ、納期の何を取っても、非常に厳しいオーダーをされました。ですから、他社さんに同じクォリティ、価格、納期で提供しても、想像した以上に喜ばれるんです。退社した先輩から〝この会社で商売できれば、どこに行ってもやっていける〟と言われていたんですが、まさにそのとおりでした」
大きな歯車ほど動かすのは難しい。最初は大きな力が必要だ。だが、一度回り始めると、今度は力を加えなくても止めることができなくなるほど回転するという。それはまさしく大手アパレルメーカーで積み上げた市町の売上のようである。引き継いだときの年間売上はおよそ5000万円弱。それが5年目には8倍、8年目には20倍、そして現在30倍へと増え続け、いまやその大手アパレルメーカーのメンズ製品は豊島が一手に引き受けていると言っても過言ではないほどである。市町は淡々と語る。
「この十数年、毎日お客様のもとに通い、多くの提案をしてきました。最初はライバルとして競った商社や生地メーカーなどもたくさんいましたが、ふと気づいたら、みんな消えていました」
⇒〈その5〉へ続く