稲畑産業 千田淳平
突きあたった壁を
自己変革で乗り越え、
海外へ新たな展望を広げる
営業マンとしての転機
もっとも実際の業務については、「入社して仕事に就くまで学生時代の漠然としたイメージしか持っていなかった」という。外に出て人と話をして商談をまとめる、という商社マンのイメージだ。
「それは間違ってはいないのですが、いっぽうで社内での事務処理など地味な作業もたくさんある。そうしたことを実践で学びながら自分なりに全力でぶつかっていったんですが、結果的に空回りしてしまうことがしばらく続いていたんです」
入社した千田が配属されたのは、化学品本部機能化学品グループ大阪コーティングケミカルズチーム。塗料、インク業界を中心にさまざまな原材料を販売する部門だ。そこで入社時から塗料、インクメーカー向けに原材料の販売を任された。つまり顧客であるメーカーと原材料の仕入れ先との橋渡しを務める業務だ。担当する顧客は20社ほどに上った。
「顧客から納期や数量の要望を聞いて、仕入れ先に伝える。仕入れ先にはまたその都合がありますから、それを顧客にフィードバックする。これを一所懸命やっていたつもりなんですが、実りのないままメッセージのやり取りで時間を浪費して、納期の遅延を起こしてしまうことがしばしばありました。自分ではできているつもりでも考えや配慮が行き届かず、結果的に単なるメッセンジャーボーイになっていたんです」
千田が担当していた仕入れ先、原材料メーカーの1つが、納期の遅延を繰り返すということがあった。千田はその都度メッセージを双方に伝えて善処を図り、何とか事態を収拾してはいた。だが顧客は、それで納得してくれない。
「いま振り返ると、仕入れ先が何とかしてくれるはずだという甘い考え方が自分のなかにあったのでしょう。ですが顧客側は『遅延が頻発するのはどう考えても何か問題が別にあるに違いない、間に入っている商社がそこを何とかしてくれなくてどうするんだ』と。それで上司が仕入れ先に顔を出してみたら、製造設備に致命的なトラブルを抱えていたことが判明したんです。商社が入ることでプラスに働かなくてはいけないのに、私のせいでマイナスになっていたようなものでした」
こんな調子で、「お宅の営業の千田さん、大丈夫?」といった声が上司の下に届く。2年目で初めて任された大口取引先の担当を外されてしまったのは、こうした問題が続いた結果だった。
「自分ではできているつもりでも、思っていたことが先方に伝わっていなかったり、相手の要望を汲み取れていなかったり。そんな一方通行でもがいていました。いま思い返せば原因は分かるんですが、その時はもう無我夢中だったんですね。朝早く出社して遅くまで残業して、土日も費やして…。これだけやっているのに評価につながらないという悔しさが噴き出して、社内で悔し泣きしてしまったわけです」
その後も悪戦苦闘は続いた。
「上司からはしきりに『相手の立場に立ってよく考えろ』と言われましたが、当時はそれがどういうことか考える力がなかったんでしょうね。これといった改善策が見つからないまま、ただがむしゃらに体あたりするだけの毎日でした」
転機が訪れたのは入社4年目の12月に開かれた社内の宴席でのことだ。
「酒の席で本部長に呼ばれ、とことん言われました。『このタイミングで変われなかったら、お前は社会人として終わりだと思え』と。自分もそろそろ30代が見えてきた年齢で、いつまでも叱られっ放しではいられない。もう後はないんだと腹を括って、自分を変えていこうと決意しました」
ちょうど年末だったので、その後の正月休みを通じてゆっくり考える時間があった。営業として主体的に動くとはどういうことか。何を最終ゴールに設定して、そこへ向かって自分が何を行うべきなのか。1つひとつ行動を点検しながら、営業マンとしての仕事を立て直す作業が始まった。
⇒〈その3〉へ続く