商社の仕事人(13)その1

2017年04月3日

トラスコ中山 高田真由美

 

回り道をしながらも

15年目に支店長に

 

 

【略歴】
兵庫県生まれ。甲南大学経営学部経営学科卒。2000年トラスコ中山に入社。

 

 徹夜して制作したカタログが直前になって廃刊の憂き目に

トラスコ中山に入社して15年目に、高田真由美は支店長に昇進して寝屋川支店に赴任した。支店長としては社内でも若い方だが、昇進がとりわけ早いというわけでもない。ただ高田は、営業に初めて出てからまだ2年余りしか経っていない。多くの会社では営業職の経験を積むのが営業拠点の責任者となる一般的なコースで、トラスコ中山も例外ではなく、異例のキャリアステップといっていい。

「私は営業を志望して商社に入ったのですが、これまで長かったのは本社業務です。1年目は物流センターのプラネット大阪で、同期の大卒総合職の新入社員は全員が各地にある物流センターに勤務しました。2年目になって、当然支店に行くと思っていたところ、大阪本社の営業企画本部と言われて、なぜ? と思いました」

配属されたのは、営業企画部営業企画課にある女性だけの文具カタログチームだった。トラスコ中山の主力商品である機械工具類のカタログは、3冊分で構成される「オレンジブック」だ。それと一緒に文具カタログも配布して、いわゆる「ついで買い」でも売上を増やすというのが当時の会社の方針だった。文具カタログは誌面構成から仕入れ価格、販売価格の決定まで、この女性チームに一任された。

「営業でもなく、メインの商品である機械工具のカタログでもありません。でも会社が本気で女性を活用しようとしていると考えると、いつの間にか仕事に夢中になっていました」

営業企画課に来て3年目には、高田は文具カタログの制作責任者になった。夜遅くまで作業をしては寮に仕事を持ち帰るという日々が続いた。

「もっと後輩に仕事を任せて、周りにも助けを求めるべきでした。でも『自分のカタログ』という責任感や気負いもあって、人に何をしてもらえばいいのか分からなくなっていたのです。仕事は1人で抱え込んでもだめだとよく分かり、いい経験にはなりましたが、今思えばやり直したいことばかりです。仕入れ先の大手文具メーカー様にも、私が会社の代表だという思いで、他社より高い値段にしないでくださいと一方的に交渉を行っていました。年上の相手の方に対して上から目線で、先方はきっと腹を立てていたことと思います」

高田の経験不足もあって、作業が次々と後手に周り、スケジュールに間に合わせるために最後の1か月間はほとんど睡眠も取れなかった。ようやく発刊というところまでこぎ着けたときに、取り扱う商品をプロツールに特化するという経営方針の転換が突然決まった。それに伴い、文具事業自体が消滅してしまった。

⇒〈その2〉へ続く

 


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