トラスコ中山 高田真由美
回り道をしながらも
15年目に支店長に
営業現場への配属希望はかなわずに経営企画部に
文具カタログチームの解散とともに、高田も異動になった。しかし配属先は、今度も希望していた営業の仕事ではなかった。
「お前は営業に向いてない。経営企画部で勉強してこい」
上司からはこう言われた。
「納得できません。いつになったら営業ができるんですか」
高田のショックは大きかった。このときはかなり抗議したという。だが今と違って、女性が多いトラスコ中山でも女性営業担当は全社でまだ数名しかいなかった。工場で使う機械工具の扱いが多いこの世界は、男性社会である。女性を送り込むには慎重な時期だったのかもしれない。
「営業企画課のときも、営業を知らないで仕事をしているのがコンプレックスになっていました。何を根拠に向いていないと言われたのかも分からなかったし、営業ができなければ辞めようかとも思いました。でも考えてみれば、経営企画部の仕事を経験する社員は全体の中でもごく少数です。本社の中枢に近いところにいられるのは絶好の機会で、間違いなく勉強になると気持ちを切り換えました。実際にやってみても、自分たちが決めた制度で社員にいかにモチベーションを上げてもらえるかを考えるのは楽しかったですし、支店長になってからもその経験は生きています。今では当時の上司に感謝しています」
こうして高田は経営企画部の経営企画課で、全社の年次予算の数字をまとめ、各支店の目標数値を決める仕事についた。予算をどれだけ達成したかに基づく支店や個人の評価制度の見直しも関わった。
それまでの評価制度は、今からみれば売上の目標達成に偏ったものだった。だが利益を確保しなければ、会社は次の施策を展開するために必要な体力を蓄えることもできない。そこで経営企画課では利益目標に目を向けた。
「営業利益の達成目標値や粗利率の裁定基準を新しく盛り込んで、売上と利益の両方で成果を上げた支店や個人を評価する制度に転換しました。とにかく売るのが偉いという考えでこれまで来た人もたくさんいたので、利益の数字が伴わないといくら売っても評価されなくなったという不満は社内にあったと思います」
年次予算も、全国6ブロックの営業のトップであるブロック長が数字を決めていた。それを経営企画課が全体予算を決めて各支店にブレイクダウンする方式に改めた。支店や社員が納得しているかいないかに関わらず、ブロック長が「やれと言ったからやれ」と決めたような、根拠がはっきりしない数字だったからだ。経営企画課ではそこを改めて、国が発表する各種経済指標やここ数年間の地域ごとの傾向などを根拠にしながら予算を立てていった。
「ブロック長から権限を取り上げて自分たちで予算を決める制度にしたので、失敗はできません。もし下方修正することになれば株価が下がりますし、だからといって低めに設定してはモチベーションが上がらず会社が成長できません。全国80か所以上の支店の予算を不公平感なく決めるのも大変です。会社全体への影響が大きい仕事で、責任の重さは相当感じていました」
これは、高田が経営企画課から異動した後のことだが、現在は、逆に支店長が出した数字を積み上げて全社の年次予算を決める方式になっている。それだけ支店長が経営指標となる数字を見られるようになったからではないかと高田は言う。
「全社的に利益を意識するようになりました。特に若い人はシビアで、お客様からの値引き交渉も断るときはスパッと断ります。売上も、利益も、費用となる販売費および一般管理費も、バランスよく見られる人材が役職者になるケースが増えているはずです」
⇒〈その3〉へ続く